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大阪地方裁判所 昭和39年(行ウ)10号 判決

原告 鍬田和男 外一名

被告 大阪府労働部職業管理課長

主文

一、被告が昭和三九年一月一五日付で原告辻泰弘に対してなした免職処分を取消す。

二、原告鍬田和男の請求を棄却する。

三、訴訟費用中、原告鍬田和男と被告との間に生じた分は同原告、原告辻泰弘と被告との間に生じた分は被告の各負担とする。

事実

(当事者の申立)

原告らは「被告が昭和三九年一月一五日付で原告らに対してなした各免職処分をいずれも取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

被告は「原告らの各請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

(原告らの主張)

一、原告らは、いずれも昭和三八年八月一日任命権者である被告(ただし大阪府労働部職業管理課新設前の同部職業安定課長吉本実)によつて労働省労働事務官として採用され、以来大阪府労働部堂島公共職業安定所の職員として勤務していたものであり、かつ、労働省関係の職員をもつて組織する全労働省職員労働組合(以下単に全労働という。)の大阪職安支部(以下単に大職安という。)堂島分会に所属する組合員であつたが、条件付採用期間中の昭和三九年一月一五日付で被告から人事院規則一一―四第九条に基づきその職に必要な適格性を欠くとの理由でそれぞれ免職処分(以下単に本件免職処分という。)に付された。

二、本件各免職処分の不当労働行為性について

国家公務員法(以下単に国公法という。)は労働組合法の定める不当労働行為およびその救済に関する規定を設けていないが、憲法第二八条の団結権保障の精神に照らし、かつ、国公法第一〇八条の二が職員団体という団結の存在を認めていることにかんがみ、職員団体に対する当局の支配、介入が不当労働行為として許されないことは当然である。また、国公法第一〇八条の七は職員団体における正当な行為をしたことなどのために職員が不利益な取扱いをうけない旨規定しているから、これに違反する当局の行為は不当労働行為として違法である。

ところが、本件各免職処分は、後述するとおり被告主張のような免職処分事由がないのに、当時緊迫していた被告ら当局と大職安との対立状態を背景として、当局が組合の運営を混乱させ、その活動力を分裂、減殺する意図をもつて大職安の組織および運営に対し支配、介入しようとしてなされた不当労働行為である。

(一)、先ず本件各免職処分が行なわれた背景は次のとおりである。

(1) 失業対策事業打切りとその反対闘争

昭和三七年五月一四日労働省が長期間継続してきた失業対策事業の打切りに関する構想を発表したが、全労働は、右の構想が憲法第二五条以下に規定された国民の生存権的基本権を侵害するものであり、かつ、低賃金政策への布石であるとして、総評、全日本自由労働組合(以下単に全日自労という。)などとともに全国的な反対闘争(いわゆる失反共闘)を展開した。大阪においても大職安が中心となつて地域闘争を展開したが、堂島分会は組合員数が圧倒的に多く、最も活発な闘争活動の拠点であつた。

これを契機として被告ら当局は大職安の組織の弱体化ないし潰滅をねらつて一連の不当労働行為の構想を練り、大職安に対する順次以下述べる不当労働行為に及んだ。

(2) 労働慣行破棄の提案

被告ら当局と大職安との間には、(イ)職員の人事異動はできる限り本人の意思を尊重して行なうこと。組合役員の人事異動は原則として行なわない。もしその必要があるときは組合と事前に協議すること。(ロ)年次有給休暇(以下単に年休という。)の請求書には休暇の事由を記載する必要がないこと。(ハ)勤務時間中の組合活動も業務に支障がない限り広く認めること。以上が多年の慣行として承認されていた。

ところで、被告ら当局は昭和三七年一一月二日大職安に対し右の慣行をほとんど全面的に破棄する旨申し入れてきた。大職安は、労働慣行を一方的に破棄することは団結権の侵害であるから許されない。話合いによつて解決すべきであると主張し、当局の右申し入れを提案として受取り話合いを行なうことにした。

(3) 年休の請求書に休暇の事由を記載すべき旨の通告

労働慣行破棄に関する話合いが開始されてから間もない昭和三七年一二月五日早くも被告ら当局は労働大臣官房長通告乙第四九四号に基づき管内の各公共職業安定所長などに対し以後年休の請求書に休暇の具体的事由を記載すべき旨の通達を発した。これは労働者の生命と健康とを守るための最低限の保障たる年休請求権の行使を不当に制限するものであり、かつ、当時前述の失反共闘が次第に盛上がりつつあつたときで、時期的にみてもこれにより組合活動を抑圧せんとする露骨な労働政策の現われであることが明らかであつた。

そこで全労働は当局のかかる措置が労働基準法第三四条および第三九条に違反する(その理由の詳細は後述する。)としてこれに反対し、全組合員に対しその権利を擁護する立場から年休の請求書に休暇の事由を記載しないように指導した。

(4) 団結権侵害を目的とする職員研修の制度

前記年休請求書の問題とほぼ時期を同じくして昭和三七年一二月はじめごろ被告の所轄内において公共職業安定所職員に対する研修の制度が新たに設けられ、各公共職業安定所の所長から一般職員にいたるまで、被告ら当局の指名する職員に対し順番に当局の指導による研修が行なわれた。この研修制度は徹底した反組合的教育を目的としたものであつた。

被告ら当局は一般職員のうちから比較的反組合的な思想を持つているとみられる者を受講者に指名し、研修を終えた者の多くをその後間もなく職制に登用したその結果、職制の数は漸次増加し、昭和三八年秋ごろには一般職員四名に対し職制一名の割合にまでたつするにいたつた。

そして、被告ら当局は、それらの職制をして、同人らが組合員の資格を持つていることを利用して庶務課長などとともに、職場大会などに出席させて、その場における発言を詳細に報告させると同時に、庁舎管理権を盾にとつて他の分会所属の組合員の立入を禁止させるなど、組合に対する露骨な支配介入と切崩し活動の先頭に立たしめた。

(5) 労働慣行の一方的破棄

労働慣行破棄の提案をめぐる労使の話合いが当局側の冷淡な態度のため引延ばされている間に、組合に対する攻撃の態勢を整えつつあつた被告ら当局は、昭和三八年四月一日を期して管内の各公共職業安定所長名義で「職員の皆様へ」と題する文書を所属の全職員に対し発送して、従来かなり広範囲に認められていた勤務時間中の組合活動をほとんど全面的に禁止するとともに、組合が多年の苦闘によつて獲得し慣行として認められてきた諸種の既得権を大幅に剥奪する旨を一方的に通告してきた。これは後述するところの大量の人事異動を一方的に強行するための下準備でもあつた。

(6) 慣行破棄の通告に対処する大職安定期大会

労働慣行の一方的破棄に示された当局の強引、かつ露骨な団結権の侵害に対処するため、大職安は昭和三八年四月開催された定期大会において、年休の請求書に休暇の事由を記載しない方針を確認し、全組合員に対しその旨の指令を発するとともに、右大会の決議に基づいて被告との交渉を重ねたが、交渉は事実上決裂の状態となり、新たな労使の対立へと発展していつた。

(7) 当局の一方的な大量配置転換

当局は昭和三八年七月一五日の人事異動において大量の配置転換を一方的に決行した。それは、従来の労働慣行を完全に無視する態度を公然と示したものであり、かつ、右配置転換には多数の組合役員が含まれていたため、大職安は組織的活動に深刻な打撃をうけ著しく弱体化した。

(8) 労働管理体制の強化

被告ら当局は、右の大量配転と同時に労務管理体制を着々と強化した。すなわち、大阪府労働部では従来職業安定課が職業安定業務と労務管理業務とをあわせて担当していたが、昭和三八年八月一五日同課から労務管理の部門を分離してこれを職業管理課として独立させ、同課に主として組合対策業務を担当させることにした。

そのころから、当局の組合に対する締めつけはますます激しくなり、たとえば、堂島公共職業安定所では職制が毎朝ラジオをかけておき、午前九時の時報と同時に出勤簿を引揚げてしまうなど、嫌がらせとしか思われない種々の措置を講じ、また、同年一〇月ごろから年休の請求書に休暇の事由を記載することを一層厳格に実行させた。

(9) 職業管理課発足以来の団結権侵害の強化

上述の当局の激しい攻撃によつて、大職安は活動に著しい制限をうけ、昭和三八年八月ごろ以降はわずかに機関紙などによつて組合員相互の交流を図る程度の活動よりできない状態になつたが、原告鍬田はその寄稿者の一人であつた。

このときにあたり、被告ら当局は職制を通じて個々の組合員を威嚇、または懐柔する一方、「組合員有志声明」と題する出所不明の怪文書などを次々に職制を通じて組合員に配布した。そのため組合のなかには次第に動揺する者が現われ、組合は存立上の重大なる危機に直面するにいたつたので、大職安は早急に闘争態勢を確立して危機を打開しなければならない事態に追い込まれていた。

(二)、本件各免職処分のねらい

右に述べたような被告ら当局と大職安との対立状態を背景として、大職安が重大なる危機を克服するための闘争態勢を確立すべく動きだした矢先にあらわれたのが、本件各免職処分である。被告ら当局は、原告らに免職処分事由がないにもかかわらず、専ら原告らが大職安の組合員であることから、原告らに対し条件付採用期間中の職員に対する免職という前例のない、しかも、最も苛酷な処分を敢行して、一般組合員に対するみせしめとし、それによつて組合員を一層動揺せしめ、組合の闘争態勢の確立を妨害するため先制攻撃を行なつたのである。これは、被告ら当局が急拠大職安の組織および運営を混乱させ、その活動力を分裂、減殺する意図をもつて組合の組織および運営に対し支配、介入しようとした不当労働行為である。

なお、原告辻が全労働の方針に従い年休の請求書に休暇の事由を記載しなかつたことをもつて本件免職処分事由としたのは、前掲記の国公法第一〇八条の七の規定に違反する不当労働行為である。

従つて、原告らに対する本件各免職処分はいずれも違法として取消さるべきである。

三、本件各免職処分事由の不存在について

仮に本件各免職処分が不当労働行為でないとしても、被告主張のような免職処分事由がいずれも存在しないから、本件各免職処分は違法である。

(一)、条件付採用制度の意義について

先ず条件付採用制度の意義について考察するに、国公法第五九条第一項は「一般職に属するすべての官職に対する職員の採用又は昇任は、すべて条件付のものとし、その職員が、その官職において六月を下らない期間を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに、正式のものとなるものとする。」と規定している。右規定の文言を形式的にみると、条件付採用の条件とは当該職員がその官職において六月を下らない期間を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行することによりその適格性を実証することを正式採用のための停止条件とするものであり、条件付採用期間は競争試験などに引き続く選択過程であると称することができないものでもない。

しかしながら、条件付採用制度の意義を正確に把握するためには、単にその根拠法規の形式のみならず、関連する諸法規およびそれらの規定の適用下において形成されてきた労働関係の実態や慣行などの諸要素をも総合して判断しなければならないことは、私企業における試用契約制度の意義を検討する場合と同様である。けだし、法規の解釈は、社会事情の変化にともなつて当然変化すべきものであつて、文言の末に拘でいして客観的には現実から全く遊離した空理空論であつてはならないからである。

そこで、先ず、条件付採用の条件というのが、文言どおり職員が条件付採用期間中良好な成績で職務を遂行することによりその適格性を実証することが正式採用のための停止条件になつているというのであれば、停止条件成就の有無を確定させるため、あらかじめ適格性判断についての客観的、合理的基準が設定されている必要があると同時に、条件付採用期間の終了時点において適格者である旨の判定に関する明確なる表示が行なわれなければならない。ところが、右の適格性判断の基準について国公法第五九条第一項に前述のような抽象的文言があるのみで、客観的、合理的基準を具体的に定めた規定は全く存しない。かえつて、人事院規則一一―四第九条によると消極的な不適格事由が具体的に定められている。これは条件付採用制度にいう条件が例外的な事態に対処するための解約権の留保を実際には想定していることの現われである。また、条件付採用期間の終了時点において適格者である旨の判定の表示や取扱上の差異がないこともまた右のことを裏付けるものである。

次に、国公法の前掲記の規定によると、条件付任用制度は採用の場合のみならず、昇任の場合をも対象としているが、条件付昇任の結果不適格として正式昇任を拒否された事例は数十万人の一般職国家公務員について皆無といつてよい状態であり、停止条件としては決して運用されていないのが実情である。この一事をもつても国公法上の右制度が形骸化していることが明らかである。

なお、国公法が立法当時において六カ月以上というような驚くべき長期の条件付採用期間を設けたのは、旧官僚制度に代わる公務員の地位を高からしめ、優秀な人材を吸収しようとする意図が存在したからであろう。だがその後の国内の労働事情の変化はそのような長期にわたつて不安定な試験期間に甘んずる求職者がなくなり、他方受入れ側においてもそのような長期間にわたり試験のための勤務というような寛容な要員配置を許すことができなくなつてきた。そのため、原告らの場合のように、実際には当初の数日間の勤務のみが本来の試験期間であつて、その後の勤務は質、量ともに試験のための勤務の姿を失い、労務の給付自体を主眼とされるにいたつている。

以上の諸事情などを総合すると、国公法上の条件付採用制度は停止条件付ではなく、当初から雇傭関係が成立しており、ただ六カ月の期間は不適格事由による解雇権が留保された特別の労働関係であると解すべきである。

(二)、条件付採用期間中の職員の身分保障などについて

公務員といえども労働力の売買により生存を維持している点において、私企業における労働者と差異がなく、ひとしく憲法第二八条にいう「勤労者」であるから、公務員の身分は本来団結を基礎とする労働基本権によつてこそ守らるべきである。ところが、我が国の公務員法は占領管理法令たるいわゆる政令第二〇一号(昭和二三年七月三一日公布)の延長として公務員について不当にも団結交渉権と争議権とを一律に剥奪している。右のように団体交渉権と争議権とを全面的に剥奪する規定の合憲性については議論があるが、その点を暫く措き、本件において重要なことは、合憲論者が団体交渉権および争議権を剥奪していることに対し十分なる代償措置が講ぜられていることをその根拠としている点である。すなわち、国家公務員についていえば、第一に勤務条件が法律または人事院規則によつて定められ(国公法第一〇六条)、給与も官職の職務と責任に応じて定められ(同法第六二条)、特にこれを保障するため政府から独立した人事院が設置されていること、第二にその身分を保障するため、(1)勤務条件に関する行政措置の請求権(同法第八六条)、(2)不利益処分に対する審査請求権(同法第九〇条)、(3)公務傷病に対する補償請求権(同法第九三条)などの権利が法定せられていることなど、以上の代償措置が講ぜられているから、国家公務員から団体交渉権および争議権を剥奪する現行法の規定も合憲であるという点である。

本件の場合、原告らは条件付採用期間中の職員という特殊な身分を有する者ではあるが、全労働の組合員であることにおいて正式採用された職員と変りなく、しかも、公務員がいかに全体の奉仕者として職務に専念すべき義務があるとしても、免職処分という公務員関係の存否に関する問題については特に労働法原理が支配すべき次元のものであるから、本件各免職処分の法的根拠とされている国公法第八一条および人事院規則一一―四第九条の規定の適用にあたつては、憲法第二八条の精神にそくして労働法原理に立脚した見地から合理的な十分なる身分の保障が与えられるよう特に配慮せらるべきである。もし、そうでなければ条件付採用期間中の職員からも団体交渉権および争議権を奪つていることに対する代償措置を欠くことになるからである。

以上の理由により、条件付採用期間中の職員の身分を保障するため免職処分をなすについては、第一に正式採用を拒否されるのは、その職に相応しい適格性の存在が認定されなかつたという場合ではなく、不適格事由が特に認定されたという場合でなければならないこと、第二に不適格事由とは、必ずしも人的要素を排除するものではないが、その中心はその職に対応する労務給付の能力についての不適格性が客観的、合理的に認定されることであつて、それ以外の個人的な思想、性格など本来の労務給付と関係のない別の次元の要素をもち込んではならないことが明らかである。右の見地に立つて本件各免職処分を検討するに、いずれも免職処分事由を欠く違法のものといわねばならない。その詳細は以下述べるとおりである。

(三)、原告鍬田に対する本件免職処分事由の不存在について

(1) 被告は、同原告の不適格事由として、先ず、同原告は遅刻の回数が非常に多く、国家公務員としての自覚を欠如しているものであると主張するが、これは事実を歪曲し、かつ、その評価を誤つた不当のものである。

被告は、堂島公共職業安定所の始業時刻は午前八時三〇分であつて、ただ出勤簿の整理などのために午前九時まで猶予しているに過ぎないものであると主張する。しかし、公務員を含め労働者の労働条件は法令、規則などとならんで職場における労使間に確立された労働慣行によつてその多くの部分が規律されているものである。右の観点にたつて被告官庁の始業時刻をみるに、被告官庁におけるすべての職員は午前九時を目途に出勤しており、しかも、それは被告が述べるような出勤簿の整理などという便宜的、恩恵的な事由からではなく、労働時間の短縮を目指した労働組合の要求により昭和三七年四月ごろから実施された制度であり、確立された労働慣行でもあるから、形式的な規則の上はともかくとして、実際には被告官庁の始業時刻は、労使間において午前九時ということに変更されていたものとみるべきである。

ところが、被告官庁においては午前九時にわずかでも遅れて出勤した者については午前八時三〇分から起算した時間につき特別休暇、または、遅刻の取扱いをなしていた。従つて、原告鍬田が在職中二三回、合計二日と二時間五〇分の遅刻をしたという被告の主張のなかには、一回あて三〇分の仮空の時間を不当に加算しているのである。

しかも、右遅刻のなかには、選挙のため公認された休暇が含まれており、かつ、本来本件免職処分の真の理由とは認め得ない時期、すなわち、すでに被告において内部的に同原告の免職を決定した昭和三八年一二月二六日以降のものまでも加算して主張しているのである。

次に、右遅延の事由をみるに、前述の選挙権行使のためのものを除き、すべて電車の遅延という真にやむを得ない不可抗力によるものである。この点に関し、被告は電車が遅延する例が多かつたのであるからこれを見越して出勤するのが公務員として必要な心構えであつて、単純に不可抗力によるものとはいえないと主張するが、これは奇特な人の基準を一般化しようとするものであつて、同原告にとつてはなはだ酷であり、被告ら当局もその理を十分認識していたからこそすべてその都度特別休暇として承認していたのである。

なお、右のように被告は同原告の遅刻が電車の遅延という不可抗力によるものとして特別休暇の取扱いをし、格別の注意を与えないでいて、後日これらの遅刻をもつて不適格事由に該当するとして免職という不利益処分に付したのは、同原告にとつてみるとだまされたも同然であつて、信義則に反することが明らかである。

もともと、遅刻が免職処分事由に該当する場合があるとしても、それは遅刻の程度と、それによつて生ずる業務の支障の有無、程度という労務給付の義務違反の側面からのみ問題とすべきであつて、決して戦前の天皇制官僚を律したような「横着な心構え」とか、「公務員としての自覚」といつた絶対服従的な身分制度にたつた観点から問題とすべきではない。同原告の遅刻はわずかに五分ないし一〇分程度のものであり、そのため業務に多少でも支障を生ぜしめたとは到底考えられないところである。

以上のように、同原告の遅刻の件は不適格事由として免職処分に付しなければならない程度のものではないから、被告のこの点に関する主張は失当である。

(2) 次に、被告は、原告鍬田が職務に対し積極性がなく、その事例として上司から超過勤務、休日勤務を命ぜられたのにこれに応じなかつたことを掲げるが、同原告が被告主張のような時間外勤務を命ぜられたことがない。

仮にそのような勤務を命ぜられたことがあつたとしても、そもそ時間外勤務の拒否は直接的にも、また、間接的にも免職処分事由に該当すると解すべきでないから、被告のこの点に関する主張は根本的に失当である。

(3) さらに、被告は原告鍬田の不適格事由として同原告が上司や同僚に対し朝の挨拶をしなかつたことをもつて協調性を欠くものであると主張するが、朝の挨拶は労務給付とは全く関係のないものであつて、これは「上官の命令は陛下の命令だ。」と不当の言いがかりをつけて斬捨御免の私刑をほしいままにした旧軍隊を想わせるものである。協調性を問題とするのであれば、個人の性格とか、礼儀作法とかいう人間性の評価の側面からではなく、専ら労務給付の場面における協調性の問題として評価されなければならないはずのものである。被告のこの点に関する主張は前近代的な労働観に基づくものであつて失当である。

(四)、原告辻に対する本件免職処分事由の不存在について

(1) 被告は、原告辻の不適格事由として先ず同原告は来所者に対する応接態度が悪く、事務の執行にあたり上司の命令に反抗し、かつ、同僚との折合いにも欠けていたと主張するところ、同原告が一回だけ頑固な来所者の一人との間に被告主張のようなトラブルを起したことがあるが(ただしその際同原告が被告主張のような暴言をはいたことはない。)、そのようなことは事務不馴れの新任者には時折りあり勝ちのことである。しかも、同原告はその直後係長などに対し自己の不注意を詑び、同人らも快くこれを宥恕していたものである。

従つて、右のようなトラブルの一件をもつて同原告を免職処分に付し得ないことは明らかであり、他に被告主張のような事由はないから、被告のこの点に関する主張は失当である。

(2) 次に、被告は、原告辻の不適格事由として年休の請求書に休暇の事由を記載しなかつたことを掲げているが、以下述べるとおり年休の請求書に休暇の事由の記載を求める被告官庁の取扱い方自体が違法であるというべきである。

そもそも、年休は使用者が労働者に対し積極的に附与しなければならない義務として制度化されたものであつて、恩恵的に附与すべきものではない。労働基準法第三九条第三項によると、年休は労働者の請求する時季に与えなければならないのであり、請求された時季に休暇を与えると事業の正常な運営を妨げる場合のほかは必ずその時季に休暇を与えなければならないのである。すなわち、請求された年休をその時季に与えるかどうかは事業の正常な運営が可能かどうかという観点のみによつて決すべきであり、休暇の事由とは本来何ら関係のないものである。従つて、年休の請求書に休暇の事由の記載を強要し、その事由のいかんによつて年休を与えるかどうかを決定しようとする取扱い方法は、法律によつて承認された年休請求権を不当に制限ないし禁止せんとするものであつて、労働基準法の前記条項に明らかに違反する。

また、労働基準法第三四条第三項は、使用者が休憩時間を自由に利用させねばならない旨定めているが、右規定の趣旨はその性質上年休の利用にもあてはまることであつて、請求者が年休をいかに利用するかは請求者の自由であるべきである。従つて、年休の請求書に休暇の事由の記載を強要してこれに干渉することは労働者のプライバシーを侵害するものであるからら、到底許容されるものではない。

この点に関し、被告は数人からの年休請求が競合した場合におけるその必要性を根拠として主張しているが、前述のように年休請求に対する時季変更権の行使は請求者側の休暇の事由に左右さるべきではないし、仮に年休請求が競合した場合にその必要性があるのであれば、その場合にのみ年休請求書に休暇の事由を記載させれば足りるのであつて、一人だけが年休を請求した場合にも休暇の事由を記載すべきことを要求していた被告官庁の取扱いには何ら合理的な根拠がないものといわねばならない。

結局、被告が年休の請求書に休暇の事由を記載するよう要求したのは、労働者の生命と健康とを守るための最低限の保障たる年休請求権の行使を制限し、もつて組合活動を抑圧するための労務政策を強行しようとする意図であつた以外の何ものでもない。従つて上司のかかる違法な強制に対し同原告が応じなかつたのは当然であつて、何ら非難さるべき筋合でない。

なお、当時原告らが所属する全労働が組合の方針として全組合員に対し、年休の請求書に休暇の事由を記載しないよう指導していたことは前述のとおりであつて、原告辻が組合員として誠実に右の指導に従い年休の請求書に休暇の事由を記載しなかつたことにつき、もし責任を問われる者があるとしても、それは右の指導をした組合の執行部であるべきであつて、一組合員に過ぎない同原告が責任を追求さるべきものではない。

以上のとおりであつて、被告のこの点に関する主張も理由がない。

(五)、要するに、原告らには、被告の主張するような免職処分に相当する不適格事由がないから、本件各免職処分は被告の恣意によるものであつて、いずれも人事院規則一一―四第九条の規定の適用を誤つた違法があり、かつ、処分権を濫用したものとしても違法であるといわねばならない。

四、よつて、被告が原告らに対してなした本件各免職処分はいずれも取消さるべきである。

(被告の主張)

一、請求原因に対する認否

原告ら主張の第一項記載の事実は認める。

同第二項(一)記載のうち(1)について、昭和三八年に職業安定法および緊急失業対策法の一部改正が行なわれた際、右改正は失業対策事業の打切りを意図するものであるとして全労働が全日自労などとともにその前年から全国的な反対闘争を行なつたこと、その際大阪においても、大職安が地域闘争を展開し、堂島公共職業安定所が活動の一拠点であつたことは認めるが、その余の原告ら主張事実は否認する。

職業安定法および緊急失業対策法の前記改正は、原告ら主張のような失業対策事業の打切りを意図するものではなかつた。すなわち、職業安定法の改正は中高年令失業者などに対する就業促進措置制度を創設し、これらの者の就職促進を図るとともに、手当を支給しながら職業指導を含むきめ細かな就職指導を実施することにしたものである。また、緊急失業対策法の改正は法改正時に失業対策事業に就労しているものはそのまま継続して就労できるようにしたうえ、法改正後公共職業安定所に申込む求職者に対しても、前記就職促進措置をうけ終り、引き続き誠実、かつ熱心に求職活動をしている者については、これを失業対策事業の紹介対象とし、あわせて高令者などの身体的、または精神的特殊性を有する失業者に対しては、高令失業者等就労事業を実施することにしたものである。従つて、右の改正が国民の生存権的基本権を侵害するものという全労働などの主張は全くの言い掛りに過ぎなかつたのである。

同(2)について、昭和三八年三月以前に大阪府下の各公共職業安定所と大職安の各分会との間で原告ら主張の事項が慣行として行なわれていた例があつたこと、被告が昭和三七年一一月大職安に対し後述のように慣行整理のための交渉を申し入れたことは認めるが、その余の原告ら主張事実は否認する。

当時大阪府下の各公共職業安定所長と大職安の各分会との間において、原告ら主張の事項以外にも、違法、または不適当なる多数の事項が慣行として行なわれていた。それらの事項には、各分会に共通のものもあれば、また、ある分会に特有のものもあり、その数は分会単位で合計すると一二五に達し、それらを分類整理しても六五種類になつた。

右の慣行が、いつごろから行なわれるようになつたかは、必ずしも明らかでないが、各分会が公共職業安定所長と個別的に交渉し、強硬な態度で組合の要求を認めさせたものが多かつた。

ところで、右の慣行のなかには、(イ)人事異動の事前協議、(ロ)超過勤務を原則的に行なわない。また、その手当についても一律支給する。(ハ)宿日直をした場合は代休を与える。(ニ)年休のほかに夏季休暇を一〇日間とる。(ホ)年末宿日直の場合には、特別手当として金員および酒一升を出す、(ヘ)勤務時間内でも、団体交渉や組合会議が自由にできる。など法令に従つて従事すべき公務員として違法、または不適当なものが多数存在していた。たとえば、人事異動を事前に組合と協議することは、人事を停滞せしめ、職員の士気にも影響し、ひいては、業務の運営に支障をきたすことになるもので、とうてい認めることができない慣行であつた。そして、これらの慣行の存在が大きな原因となつて公共職業安定所における職場秩序を正常に保つことがきわめて困難となり、そのため府民から不満の声が起つていた。

そこで、被告は、法令を遵守すべき公務員として、また、国民に奉仕すべき公共職業安定所職員としての職責を全うするためには、違法、または、不適当なる慣行を整理し、いわば異常な状況にある業務態勢を正常化し、職員相互の協調と信頼とを基にした適正な職員管理を行なう必要があるものと考え、昭和三七年一一月大職安に対し、特に目立つた慣行の整理をするため交渉を申し入れたのである。

同(3)について、労働大臣官房長が昭和三七年一二月一五日都道府県職業安定課長に対し出勤簿および休暇等の取扱いについて通達を発し、右通達において職員は休暇については休暇承認簿により、休暇の事由を明らかにすべき旨指示したこと、被告は右通達をうけて、同年同月二六日各公共職業安定所長に対し、出勤簿および休暇等の取扱いについては右通達によるべき旨指示したことは認めるが、その余の原告ら主張事実は否認する。

被告は右の時点においてはじめて休暇の事由を明らかにすべき旨指示したものではない。昭和三四年二月一一日付通達によつて休暇の事由を記載すべき旨指示していたのであるが、大職安の反対運動のため右の記載が必ずしも励行されていなかつた。そこで、被告は改めてその趣旨を徹底させるため、前記官房長の通達が出されたのを契機に新しい通達を出したのである。原告らは被告が組合活動抑圧のため、時期を見計らつて、全く新しい通達を出したと主張するが、それは誤りである。

被告が休暇の事由を記載すべきものとする理由は以下のとおりである。すなわち、一般職国家公務員の休暇は、あらかじめ機関の長の承認を経なければならないものであるが、機関の長が承認するかどうかは業務の繁閑に応じて決すべきものである。しかし、休暇の事由が重大であり、かつ緊急性があれば、通常承認できない場合であつても承認することがあり得るし、また休暇請求が競合するが業務の繁閑の程度により休暇請求者の一部の者に承認を与えることができる場合には、休暇の事由の重大性と緊急性との程度によつて承認を与える必要があるからである。このように、被告が休暇の事由を記載すべきものとしたのは承認を適正、かつ妥当に行なうために必要だからであつて、休暇の事由をそもそもの基準として承認するかどうかを決定しようとするものではないし、まして職員の休暇請求権を不当に制限する意図は毛頭存しない。

なお、原告らは、休暇の事由を記載すべき旨の指示は労働基準法第三四条および第三九条に違反すると主張し、現に前記官房長の通達が出された際大職安ではかかる指示は労働基準法の前掲記の条項に違反するとして反対したのであるが、公共職業安定所の職員は一般職国家公務員であるから、国公法附則第一六条により労働基準法の右条項が直接適用されることはないのであるから、それに違反する余地は存しない。

そして、現実においても、大職安の反対方針にかかわらず、被告が出した前記通達の趣旨はよく徹底し、原告辻が休暇の事由を記載することを拒んだ昭和三八年一一月ごろには、組合役員を含む職員の大部分が休暇の事由を記載しており、この事実は休暇の事由を記載すべき旨の指示が適法、かつ妥当なものであつたことを明白に裏付けるものである。

同(4)について、被告が昭和三七年八月ごろから公共職業安定所職員に対する研修を積極的に行なうようになつたこと、研修を受けた職員の多くがその後係長や専門官に昇任したことは認めるが、その余の原告ら主張事実は否認する。

国民と窓口で親しく接し、職業紹介などの業務に従事する公共職業安定所職員として、法令に通じ、また応接態度を向上させるために研修の必要があつたことはいうまでもない。まして、昭和三七年ごろは職業安定法などが改正された時期であり、また、当時の雇用状勢は就職難の時代から求人難の時代へ変る転換期にあり、職業安定行政の難しい時代であつた。ところが、前述のとおりそのころは大阪府下の公共職業安定所において違法、または不適当なる勤務上の習慣が労働慣行の名のもとに横行し、職場の秩序が整然と維持されているとは言い難い状況にあつた。

そこで、被告は一層職員の研修の必要性を感じ、積極的に諸種の研修をはじめたのである。研修の対象者は公共職業安定所長から一般職員にいたるまで広範囲であつたが、特に中堅職員で勤務成績の優秀なものを多く研修せしめた。これは公共職業安定所の充実のためには将来の幹部の養成が大切であつたからである。

研修の教科には、職員の管理の方法も含まれていたが、管理者の候補者に対し、管理のあり方についての認識を深めるため研修することは当然のことであつて、それは反組合的教育を目的としたものではない。

なお、研修を受けた職員の多くが、その後係長や専門官に昇任したのは、前述のように、もともと成績優秀な幹部候補者を選んで研修したからである。それらの者は組合員であるから、組合大会などに出席したこともあるであろうが、被告がそれらの者を組合大会などに出席させ、その場における発言を報告させるなどして組合に対する支配、介入と切崩し活動との先頭に立たせたということは全くない。

同(5)について、前述のとおり被告人が大職安に対し慣行整理のための交渉を申し入れ、その結果両者間に何回も話合いが行なわれたこと、被告が昭和三八年四月一日管内の各公共職業安定所長をして全職員に対し「職員の皆様へ」と題する文書を発送せしめ、同文書記載の七項目の慣行のみを承認することにしたことは認めるが、その余の原告ら主張事実は否認する。

被告は慣行整理に関し何回も誠意をもつて大職安と交渉したが、大職安がこれに応じないため、両者の主張は平行線をたどり、話合いによる解決は困難であつた。そこで、被告はやむなく前記日時に管内の各公共職業安定所長をして全職員に対し「職員の皆様へ」と題する文書を発送せしめたのである。

原告らは、大職安が多年の苦闘によつて獲得し、慣行として認められてきた既得権を被告が一方に剥奪したと主張するが、前述したとおり、それらの慣行なるものは、公共職業安定所長と分会との間で行なわれてきたものであつて、被告が認めたものではなかつたから、被告がそれらの慣行に拘束されるいわれがないばかりでなく、法令を遵守すべき公務員としてとうてい認めることのできない内容のものが数多く存在していたのであるから、被告がそのような違法、または不適当なる慣行を認めない態度が明らかにしたのは誠に当然のことといわねばならない。

同(6)について、大職安が昭和三八年四月定期大会を開いたことは認めるが、その余の原告ら主張事実は争う。

同(7)について、被告が昭和三八年七月一、二、一六日の三回にわたつて、合計三五七名の配置転換を行なつたこと、当時の大阪府下の公共職業安定所職員は、一、〇四五名であつたから、右の配置転換はかなり大規模なものであつたことは認めるが、その余の原告ら主張事実は否認する。

被告が右の配置転換を行なつたのは、当時幹部職員が退職したことと、一般職員については人事が停滞し、職員の士気を沈滞せしめていたからである。そして、配置転換の実施に当り、原則として五年以上同一の職場にあるものを異動せしめることをもつて基準としたのであるが、実際に異動した職員の異動前の同一の職場への平均在職年数は七年であつたのに対し、大職安の執行委員の場合は八・五年、分会長の場合は一〇・八年であり、これらの者は従来他の職員より異動される率が低かつたのである。このように被告が行なつた配置転換が組合の弾圧を意図したものでないことは明らかである。

同(8)について、大阪府労働部においては従来職業安定課が職業安定業務と人事、経理などの管理業務とをあわせ行なつていたが、昭和三八年八月一五日同課の事務のうち右の管理業務を集中管理させるため職業管理課が新設されたことは認めるが、その余の原告ら主張事実は否認する。

公共職業安定所の業務量が激増し、業務が質的にも複雑化するにつれて、職業安定課は業務が増加複雑化し、昭和三八年八月には約九〇名の職員を擁する大きな組織になつていた。このような状態では、一人の課長で管理することが困難であり、かつ、事務処理の効率化の見地からみても好ましくないので、同課の事務のうち、人事、経理、調度、調査などを集中管理するため職業管理課を独立せしめたのである。従つて、組合対策を担当させるために職業管理課を独立せしめたという原告らの主張は全くのこじつけである。

なお、職業管理課の新設の前後を通じて当局が組合を締めつけたことはない。原告らは堂島公共職業安定所において午前九時の時報と同時に出勤簿を引揚げてしまうという嫌がらせとしか思われない措置を講じたというが、出勤猶予時間を過ぎた午前九時に出勤簿を引揚げるのは当然のことであつて、何ら嫌がらせではない。また、原告らは同年一〇月ごろから年休の請求書に休暇の事由を記載することを一層厳格に実行させたというが、前述のように被告は昭和三七年一二月に公共職業安定所長に対し休暇の事由を記載せしむべき旨指示し、同所長はそのころから右指示に従つて職員に休暇の事由を記載せしめていたのであるから、原告主張の時期に右の記載を一層厳格に実行させるようにしたことはない。

同(9)について、被告が「組合員有志声明」なる文書を入手し、その写しを何回か各公共職業安定所長に配布したことは認める。しかし、原告鍬田が組合機関紙の投稿者であつたこと、原告辻が休暇の事由を記載しなかつたのが組合の指導に従つた結果であつたことは不知、その余の原告ら主張事実は否認する。

「組合員有志声明」なる文書は、文字どおり組合員有志が自己の意思を表明するため作成、配布したものと聞いている。被告がこれらの文書を入手し、その写しを何回か各公共職業安定所長に配布したのは、組合の動向を知ることは管理者たる同所長として職務上必要なことであり、当時同所長からも各所におけるそのような情報資料を望む声があつたので配布したものであつて、これにより組合に支配介入する意図はなかつたのである。

同第二項(二)記載の事実は争う。すでに述べたように、被告が組合に対し不当労働行為を行なつたことはなく、従つて本件免職処分は一連の不当労働行為の一環として行なわれたものではない。この間の事情は昭和三四年ごろから昭和三九年五月ごろにいたる組合自体の動きを見ると一層明らかである。すなわち、

当局は昭和三四年に事務官試験を実施し、また職業紹介官の制度を新設した。事務官試験というのは、雇の職員に対して行なわれたもので、合格者は事務官に登用されるだけでなく、身分上種々有利な取扱いを受けうるという制度であつた。職業紹介官というのは職業紹介などの業務に関する専門官であつて、係長と同一の格付をされるものであつた。従つて事務官試験や職業紹介官制度は職員の待遇を向上せしめるものであり、一般組合員間においては賛成の空気が強かつたにもかかわらず、組合執行部は、それらは職場に競争をもたらすとの理由で反対闘争を強行した。これがいわゆる事務官闘争と紹介官闘争である。このときの組合執行部の態度が端的に示すように、当時の組合執行部は一般組合員が真に欲している待遇の改善というような身近な問題をなかなか取り上げようとせず、法令を軽視し、あくまで当局と対決する姿勢をとつていた。

このような組合執行部の態度は、必然的に一般組合員の間に組合執行部不信の念を生ぜしめ、組合員の集団脱退(淀川分会、堂島分会)、組合費納入拒否運動(堺分会)などの事件が発生した。しかし、組合執行部の指導方針は容易に改まらず、組合員が要望する事項、たとえば職員の身分移管問題などを取りあげようとしないで、安保反対闘争などに熱中した。他方組合書記長の組合費使い込みというような執行部の腐敗を示す事件も発生したので、一般組合員の組合執行部に対する不信、不満の念は年を追つて次第に強まつていつた。

そして、昭和三八年一〇月二一日大阪港分会の全員が組合執行部あての要望書を提出するという事件が起つた。右要望書は組合の官側を完全に敵視し、政治闘争に主体をおく運動方針を批判し、法令の範囲内で経済的闘争、文化厚生活動を推進する方向に運動方針を転換するよう組合執行部に要望するものであつた。

右要望書の提出がきつかけとなり、それまで組合執行部によつて押えられていた組合執行部の指導方針に批判的な組合員の意見が各所に表面化しはじめた。同年一二月二〇日には西成分会有志から、その二三日には堂島分会有志からそれぞれ声明書が出され、前記要望書に同調し、組合執行部が従来の態度を改めなければ脱退も辞さないという組合の体質改善に対する強力な要求がなされたのである。さらに、昭和三九年になると組合の体質改善要求は、より深く、かつ広くなり、各分会有志または大職安有志から相ついで組合執行部の退陣を求める声明書が出された。このように、組合執行部に対する批判的な意見が、有志声明という形によつて表明されたのは、当時一般組合員が組合執行部に対する批判的意見を組合の会議などにおいて述べようとしても、組合執行部によつて押えられてしまうので、他の組合員に対し自己の意見を民主的に訴える手段としては有志声明の方法によるほかなかつたものと推測されるのである。

このような状況下において、同年四月組合執行部の役員選挙が行なわれ、従来の執行部(以下単に旧執行部という。)の役員およびその支持者はほとんど落選し、旧執行部の指導方針に批判的な組合員が正、副委員長、書記長の三役をはじめとする役員に選出された。

そして、同年五月に組合の定期大会が行なわれ、右大会において旧執行部が作成した昭和三八年度の経過報告書が議案として提出されたが、出席した大多数の代議員から右の経過報告書は事実を歪曲したものであるから全面的に書き改めて中央委員会に提出すべき旨の提案がなされ、それが絶対的多数で可決された。その後右の経過報告書は書き改められることなく、そのままとなつている。

以上のような要望書の提出以下の一連の事件は組合員自身が旧執行部がとつてきた法令軽視の政治闘争主義の指導方針を誤りと判断したためであつて、当局が組合に支配、介入したためではない。昭和三七年一一月ごろから当局がはじめた業務の正常化のための試みが旧執行部の強い抵抗にもかかわらず、比較的短期間に実現したのも組合自身が体質改善をとげつつあつたからにほかならない。従つて本件各免職処分が不当労働行為でないことは右の経緯に照らしても疑問の余地がない。

二、原告らに対する本件各免職処分事由について

(一)、条件付採用制度の意義

原告らは、条付採用制度の意義を正確に把握するためには単にその根拠法規のみならず関連の諸法規およびそれらの規定の適用下に形成されてきた労働関係の実態や慣行などの諸要素をも総合して判断しなければならないと主張するが、その主張は公務員の労働関係における特殊性に照らし失当である。すなわち、公務員の労働関係における使用者は国または公共団体であるが、本来公務員を選定したり、これを罷免したりすることは国民固有の権利であることは憲法第一五条第一項の明定するところであつて、国または公共団体は国民に代つてそれらの権利を行使しているものである。私企業における労働関係の場合は、その利害関係者は使用者と被用者とに限られるから、両者は合意や労働協約などによつてその内容を自由に定めることができるのはもち論のこと、雇用安定の理念によつて慣行などに照らしその内容を被用者に有利に解釈することもまた可能である。しかしながら、公務員の労働関係における場合は前述のとおり使用者たる国または公共団体は国民を代表するものであつて、国民全体もまたその利害関係者であるから、法律によつて定められた公務員の労働関係について任命権者を含むすべての職員はその内容を自由に変更することはできないわけである。従つて条件付採用制度の意義を考えるにあたつても法律に定められた条件付採用制度の内容を変更するような解釈態度はとり得ないところであるから、原告らの前記主張は失当であるといわねばならない。

そこで、国公法の規定をみるに、同法第五九条第一項は「一般職に属するすべての官職に対する職員の採用又は昇任は、すべて条件附のものとし、その職員が、その官職において六月を下らない期間を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに、正式のものとなるものとする。」と規定している。

国公法は国家公務員の任用制度について成績主義の原則を定め、公務の民主的かつ能率的な運営を保障しようとしている。そこで職員の採用は右の原則に従い競争試験または選考によつて行なわれるのであるが、現在の段階においては競争試験または選考のみによつて受験者または選考を受ける者の職務遂行能力の判定に完璧を期することができないので、国公法の前記条項は職員の採用を一定期間条件付のものとし、その職員がその期間職務を良好な成績で遂行したときに、はじめてその採用を正式のものとすることにしているのである。

「任用が正式なるものとなる」という意味は、人事院規則が職員の任用は「条件付任用期間の終了前に任命権者が別段の措置をしない限り、その期間の終了した日の翌日において」当然に正式なものとなる(人事院規則八―一二第二六条第二項)としていることとあわせ考えると、当該任用にかかる職員の選択過程の最終段階が終了するということであり、右の選択過程をすべて良好な成績で職務を遂行することを停止条件としてその条件成就により正式採用または正式昇任になるということである。

このように職員採用の適正を期するための車の両輪として競争試験などと条件付採用制度とを併用し、もつて国民から信託された任命権の行使につき法律はきわめて慎重なる方法を用意しているのである。

原告らは、条件付採用について国公法は適格性判断についての客観的、合理的な基準を定めず、かえつて人事院規則一一―四第九条が不適格事由を定めていること、また条件付採用期間の終了時点において適格者である旨の判定の表示や取扱上の差異がないことからして、ここにいう条件とは停止条件ではなく、条件付採用期間中は不適格事由による解雇権が留保されていることを意味するものであると主張する。しかしながら、条件付採用にいう条件が停止条件であることは国公法の前記規定の文言に照らし明白である。条件付採用制度の目的は不適格者の排除にあるから、不適格者と判断されるものに対してのみその旨を告知すれば足りるのであり、適格者と認められる者に対してまでその旨を告知する必要はないのである。不適格事由を定めた人事院規則一一―四第九条は右のような考え方のもとに規定されているだけであつて、条件付採用の意義を原告ら主張のように想定したためではないのである。

次に、原告らは、条件付任用制度は採用の場合のみならず昇任の場合にも適用があるものとされているが、後者の場合正式昇任を拒否された事例は皆無であつて条件付昇任にいう条件は停止条件として運用されておらず、このことをもつてしても条件付任用制度は形骸化していると主張する。確かに国公法の前記規定は採用と昇任とをひとしく条件付のものとしており、条件付の意味が採用と昇任とで異なるところがないようにみえる。しかし、国公法の他の規定の適用関係については両者間に重大な差異がある。すなわち、条件付採用の場合は国公法第八一条により身分保障の規定を排除し、かつ、右規定に基づき人事院規則一一―四第九条が設けられているのに対し、条件付昇任の場合はそのような規定は存しない。従つて、条件付昇任は名目は条件付であつても、実質は正式の昇任であり、これを降任させることは実質的にも降任であつて、身分保障に関する規定の適用を受けるものであるから、この点条件付採用の場合とは性質を全く異にするものであることに先づ留意しなければならない。

しかも、任命権者は、通常職員を昇任せしめるについてはその職員を長年の勤続期間にわたり観察し、昇任後の新たな職階に適するかどうかを予測するに足りる資料が備わつているから、その適格者であることにつき一応十分なる心証を得たうえ昇任を発令するものである。従つて、昇任後その適格性が問題になることは稀である。しかし、適格性のないものを昇任せしめる可能性も絶無とはいえないので、補正の機会を保有する目的で設けられたのが条件付昇任の制度である。これに対し、試験または選考を通過しただけで、未確認的要素の多い新規採用者について、一定期間観察することにより不適格者を排除する目的で設けられたのが条件付採用の制度であつて、これはさきの条件付昇任の制度とは根本的にその趣きを異にするものである。

なお、条件付採用についても、不適格者として免職処分をうけた者の数は多くない。しかし、これは、国または公共団体が条件付採用制度を無視していたからではなく、従来試験または選考がおおむね妥当に行なわれた結果公務員としての適格性のないものが採用される例が少なかつたからにほかならない。

以上のとおりであつて、条件付採用と条件付昇任とを同一視し、条件付昇任について正式昇任を拒否された事例が皆無であることをもつて条件付任用制度が形骸化しているというのは間違いである。

なお、原告らは、条件付採用期間の六カ月を下らない期間というのは驚くべき長期間であり、国公法立法当時は右期間が試験期間の実質を有していたが、その後の労働事情の変化により実際には当初の数日間の勤務のみが趣旨どおりの試験期間であり、その後の勤務は労働の質、量ともにまさに労務の給付が主眼とされるにいたつたと主張する。しかしながら、任命権者が条件付採用期間中に判断すべきことは当該官庁の職員としての適格性を有するかどうかということであり、これは単純な作業遂行能力についての判断と異なつて、ある程度の期間職務を遂行させ、その過程において、その職員の全人格的な観察を経てなさるべきことを法は予定しているのである。全人格的な観察が十分になされるためには六カ月という期間は決して長過ぎる期間ではない。現に原告らに適格性のないことが判明してきたのは採用後数カ月経過してからであつたのである。

また、条件付採用期間中だからといつて、その職員に対し、試験のための特別な仕事をさせることなく、一般の職員と同様な仕事をさせることは当然である。けだし、公務員としての適格性は、通常の職務に従事しているときに最もよく判断できるからである。

従つて原告らの前記主張もまた失当である。

(二)、条件付採用期間中の職員の身分保障などについて

条件付採用期間中の職員の身分に関する国公法その他の法律や規則の適用関係をみるに、それらの職員が俸給を受け(一般職の給与に関する法律第九条の二)、職員団体に加入し(国公法第一〇八条の二第三項)、共済組合制度の適用を受ける(国家公務員共済組合法第三七条)などの権利を有し、他方法令および上司の命令に従い(国公法第九八条第一項)、職務に専念する(同法第一〇一条)などの義務を負う点においては、一般の職員と異なるところがないが、免職などに関する身分保障の規定および職員の意に反する不利益処分に対する審査請求の規定は適用されず、その分限については規則で必要な事項を定めることとされている(同法第八一条)。そして、人事院規則一一―四第九条は国公法第七八条第四号に掲げる事由に該当する場合、または勤務実績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基づいてその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと認める場合には、何時でも条件付採用期間中の職員を免職することができる旨規定しているのである。

このように、条件付採用期間中の職員について身分保障がないのは、前述のようにそれらの職員は正式採用になる前の選択過程にあることによるものというべきである。それらの者は一定期間を限つて試験的に雇用されているに過ぎないから、試験が公正に行なわれることが保障されれば足りるのであつて、それ以上に正式採用者と同じような解雇に対する保障は必要ではない。条件付採用期間中の職員を免職するということはその者を正式職員に採用しないということであつて、実質は解雇ではないからである。

原告らは、条件付採用期間中の職員についても十分に合理的な身分保障が与えられなければならない。そうでないと国公法がそれらの職員からも団体交渉権および争議権を剥奪していることに対する十分なる代償措置に欠けることになるからと主張する。原告らのいう十分に合理的な身分保障とは要するに国公法第七五条、第七八条、第八九条、第九〇条を適用すべきであるということであらう。しかしながら、公務員一般について十分な身分保障を行なうということはその中の一部の公務員をそのもののもつ特別、かつ合理的な理由により除外することを排斥するものではない。条件付採用の制度は前述のとおり憲法第一五条第一項の理念に立脚するものであり、これが適正に運用されることは公共の福祉の一内容をなすものである。他方条件付採用期間中の職員からすれば、憲法が国民に保障する自由および権利(この場合には憲法第二五条、第二七条)は常に公共の福祉のために利用する責任を負うものである。従つて条件付採用期間中の職員について国公法第七五条、第七八条、第八九条、第九〇条の適用を除外することは公共の福祉に基づく合理的な制限であつて、何ら違法、不当ではない。

なお、原告らは、条件付採用期間中の職員につき身分保障があることを前提として、それらの職員を免職するについて不適格事由が客観的、合理的に認定される場合でなければならないと主張する。

しかしながら、人事院規則一一―四第九条によると、任命権者が条件付採用期間中の職員をその官職に引続き任用しておくことが適当でないと認める根拠となる客観的な事実があれば何時でも免職できるのであつて、いかなる事実につきこれをいかに評価するかについては任命権者の広範囲な裁量に委ねられているものである。任命権者はいかなる者を当該官職に必要な適格者として採用するかを決定する権限を与えられていると同時にその決定について絶対的な責任を負うものである。条件付採用期間中の職員としては競争試験などの結果により正式職員に採用せらるべき期待をもつている者であるから、その期待をみだりに侵害すべきでないが、任命権者として何人を雇用するかは本来自由に決定し得るところであるから、競争試験などの結果によるとされる条件付採用期間中の職員の勤務実績などの評価についても任命権者に広範囲の自由裁量が認められるのが当然である。また、当該官職に必要な適格性としては公務員としての一般的な適格性とともに各行政、各官職について特有の適格性が存するのであるから、一定の客観的な事実を当該官職に必要な適格性の有無を判定する上でいかに評価するかについては各行政、各官職を熟知する当該任命権者の責任に委ね、その裁量を尊重すべきものである。しかも右の適格性の判断は人間の全人格的な評価に関するものであつて、これを言語や文書で表現することは至難の事柄であるから任命権者が慎重な手続を経て、その責任において厳正に判定するところに委ねるほかないのである。

従つて、当該官職に必要な適格性を有するものであるかどうかに関する判断は任命権者の広範な自由裁量事項に属し、全く事実上の根拠に基づかなかつたことやその裁量が恣意にわたるなど裁量権の範囲を著しく逸脱することがない限り違法ではないというべきである。

なお、当該官職に必要な適格性の判定要素は、原告らの主張するように単にその職に対応する労務給付の能力にとどまるものではなく、国公法に定める服務の根本基準に照らして国家公務員として勤務するにふさわしいかどうか、公共職業安定所職員としてふさわしいかどうかを判断するに必要な人格的要素も当然含まれているのであり、また、原告らの主張するように現に職務の遂行に障害が生じていることを要しないことも本制度の趣旨から当然のことである。

以上の見地にたつて、被告が原告らに対しなした本件各免職処分の処分事由を次に述べることとする。

(三)、原告鍬田に対する本件免職処分事由について

同原告は、堂島公共職業安定所の調査課に配属されていたものであるが、昭和三八年九月二三日に四〇分遅刻したのをはじめとして、一〇月には三回、一一月には八回、一二月には七回、翌年一月には一五日に免職されるまでの間に四回と実に二三回にわたり合計して二日と二時間五〇分に及ぶ遅刻を繰り返し、直属上司たる課長などから数回にわたり注意されてもその態度を改めなかつたものである。

当時同原告はたまたま窓口業務でない調査課に配属されていたため現実には遅刻によつて業務の遂行に直接的な支障はなかつたとしても、公共職業安定所の業務の中には、日雇労働紹介業務のように早朝(午前六時三〇分ごろ)から当日の食および住をその紹介のいかんに託する求職者を対象として行なわれるものもあるのである。しかも右の紹介業務は極めて限られた職員によつて短時間に処理しなければならないのである。公共職業安定所が国民に対する公共サービスを行う機関として有機的一体となつて正しい規律と明るい職場秩序との下に右のような業務が遂行されるために、公共職業安定所においては職員相互の協力体制が他の行政庁に倍して要請されるのである。ところが、そのような職場において、一人の職員がたびたび遅刻を繰り返すことは公共職業安定所の業務に著しい支障を生じさせる危険があるばかりでなく、同所につめかけてくる求人者、求職者に対して好感を与えないことになり、ひいては職員の士気を阻喪させ、職場秩序を弛緩させ、当該公共職業安定所全体の信用問題にも発展しかねない由々しい事柄なのである。従つて被告が同原告も「職安人」として将来右のような業務に従事しなければならないことがあることを考慮し、同原告が遅刻を繰り返し、上司の注意があつたにもかかわらずその態度を改めなかつた事実をもつて公共職業安定所の職員に必要な適格性を欠くものとして同原告を本件免職処分に付したのは当然の措置であるといわねばならない。

この点について同原告は遅刻は電車の遅延によるものであり、しかも特別休暇扱いされていたものであるから、これをとらえて免職処分の事由とすることは違法であると主張する。しかし、同原告は当時奈良県磯城郡用原本町八田五二二番地の自宅から、近畿日本鉄道天理線の二階堂駅で乗車し、西大寺駅で同奈良線に乗りかえ、鶴橋駅で国鉄環状線に乗りかえて大阪駅で下車し、堂島公共職業安定所に通つていた者であるが、通勤時間におけるそれらの電車が混雑などのため一〇分ないし三〇分程度遅延する例が多かつたのであるから、予めそのことを計算に入れて自宅を出発すべきであつたのである。とくに堂島公共職業安定所においては、始業時刻は午前八時三〇分とされているが、右のような交通事情や出勤簿整理に要する時間を考慮して三〇分の猶予を認め、午前九時までに出勤簿に捺印した者は正規の始業時刻に出勤したものとして取扱い、午前九時を過ぎた者についてのみその遅刻の事由が電車の遅延によることを証明した場合に特別休暇扱いにすることにしていたものであるから、同原告が午前八時三〇分に勤務場所に到着する意思でもつて自宅を出発しておれば午前九時までに到着していたはずであつて、特別休暇を申請する必要がなかつたわけである。従つて同原告が前述のように遅刻を繰り返したことは、同原告がはじめから午前九時までに勤務場所に到着すれば足りるのだという横着な心構えをもつていたことの証左であつて、国家公務員としての自覚に欠けるところがあつたものといわねばならない。しかも、このことについて上司の注意があつたにもかかわらず、その態度を改めなかつた点は上司の命令を軽視するものとしての非難をも免れることができない。

そのほか、同原告は昭和三八年一〇月一二日の土曜日の午後一時から午後五時までの超過勤務と翌一三日の日曜日の午後五時までの休日勤務とを命ぜられながら理由なく就業しなかつたことがあり、普段の勤務ぶりをみても与えられた仕事に対し積極性がなく、かつ、通常職員間にあつては出勤して顔を合せたときお互いにあいさつを交すものであるのにこれを行なわないなど協調性にも欠けるところがあつたものである。

被告は以上の諸事実を総合して同原告が公共職業安定所の職員として必要な適格性を欠くと認定したのであるから、同原告に対する本件免職処分は適法である。

(四)、原告辻に対する本件免職処分事由について

同原告は堂島公共職業安定所の失業保険業務課に配属されていたものであるが、来所者に対する応接態度が悪く、昭和三八年一一月二一日には富士工務店大阪支店の係員が来所し、同係員から二通の請求書で離職証明用紙の交付方を請求された際、一通の請求書に書きかえるよう要求してその請求を受けないので、それを見かねた上司である課長の命をうけて係長がそのまま受付けるよう論したところ、同原告は「なんでやつてやる必要があるのか。お前は関係がないから黙つておれ。」と口汚くののしり、課長自身の説得によりようやくしぶしぶ交付するという有様であつた。

また、同原告はいたずらに上司の命令に反抗し、普段の言動に粗暴な振舞が多く、かつ同僚との折合いもよくなかつた。上司の命令に反抗した事例としては、先に述べた事実以外に、年休の請求に際し、上司から年休の請求書に休暇の事由を記載するよう命ぜられ、その根拠として前述のように数人からの請求が競合した場合に何人について承認し、何人について拒否すべきかを判断する上に必要である旨の説明がなされたのに対し、その必要はないとうそぶいていたということがある。また、粗暴なる言動の事例としては、免職辞令交付の日のことではあるが、上司に対し何故の免職かと口汚くくつてかかり、その後も堂島公共職業安定所に来て上司に対し暴言をはき、ついには暴行を加えるといつたことがあつた。

およそ、職業紹介業務は、求職者にとつていわばその一生を託す職業を決定すること、求人者にとつてはその企業の命運を賭ける人を求めることについて、援助、指導するものであり、その基本となるのはそれらの者の職員に対する信頼感である。もしその信頼関係にひびが入るようになると、円滑なる求職、求人の結果は期待できなくなり、その結果求職者、求人者双方に対しはなはだ重大な悪影響をおよぼすものであることは職業安定行政における長年の経験が教えるところである。従つて、同原告が独断的な考え方に固執して前述のように事業所との間においてトラブルを起こしたことは、右のような職業安定行政の特性に基づいて評価されなければならないきわめて重大な事件であるといわねばならない。

被告は以上の諸事実を総合して、同原告が公共職業安定所の職員に必要な適格性を欠くと認定したのであるから、同原告に対する本件免職処分は適法である。

三、以上のとおり、本件各免職処分は、国公法が条件付採用制度を設け、任命権者である被告において、その人事権を行使するにあたり国民の信託に応えるべく義務づけられているところに従つて行なわれた当然の措置であり、その裁量に何らの違法性も存しない。

よつて、原告らの本訴請求はいずれも失当である。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一、原告らがいずれも昭和三八年八月一日任命権者である被告(ただし大阪府労働部職業管理課新設前の同部職業安定課長吉本実)によつて労働省労働事務官として採用され、以来大阪府労働部堂島公共職業安定所の職員として勤務していたものであり、かつ、労働省関係の職員をもつて組織する全労働の大阪職安支部堂島分会に所属する組合員であつたこと、原告らは条件付採用期間中の昭和三九年一月一五日付で被告から人事院規則一一―四第九条に基づきその職に必要な適格性を欠くとの理由で本件各免職処分に付されたことは当事者間に争いがない。

二、原告らは、先ず本件免職処分はいずれも被告ら当局が専ら大職安の組織および運営に対し支配、介入するために行なつた不当労働行為であり、また、原告辻に対する本件免職処分は、同原告が組合における正当な行為をしたことを理由になされた不当労働行為であるから、違法として取消さるべきであると主張するので、この点について考察することとする。

(一)  任命権者ら当局が国公法所定の職員団体に対し支配、介入する行為が、憲法第二八条および国公法第一〇八条の二の各規定に照らし不当労働行為を構成し、また、職員が職員団体における正当な行為をしたことなどのためにその職員を不利益に取扱うことが同法第一〇八条の七の規定に違反する不当労働行為に該当し、いずれも違法であると解すべきことは原告ら主張のとおりである。

(二)  そこで、本件各免職処分は、被告ら当局が専ら大職安の組織および運営に対し支配、介入するために行なつた不当労働行為であるかどうかについて検討することとする。

成立に争いのない甲第五号証、乙第八号証の一、二、証人樋上裕一の証言により真正に成立したことが認められる甲第四号証、証人野村晃次の証言および弁論の全趣旨により真正に成立したことが認められる同第六号証の一、二、証人花岡八郎の証言により真正に成立したことが認められる同第七号証の二、証人吉本実の証言および弁論の全趣旨により真正に成立したことが認められる同第一〇号証、証人野村晃次、同花岡八郎、同吉本実の各証言、証人田井鋭一、同樋上裕一、同赤沢竹彦の各証言の一部ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告ら主張の本件免職処分の背景について次の事実を認めることができる。すなわち、

昭和三八年に職業安定法および緊急失業対策法の各一部改正が行なわれた際、全労働は右の改正が失業対策事業の打切りを意図するものであるとして、全日自労などとともにその前年から全国的な反対闘争を行なつたが、そのとき大阪においても大職安が地域闘争を展開し、堂島分会がその活動の一拠点であつたこと、当時大阪府下の各公共職業安定所長と大職安の各分会との間に、(1)職員の人事異動はできる限り本人の意思を尊重して行なうこと、組合役員の人事異動は原則として行なわない。もしその必要があるときは組合と事前に協議すること。(2)年休の請求書には休暇の事由を記載する必要がないこと。(3)勤務時間中の組合活動も業務に支障がない限り広く認めること。などの慣行が行なわれている例があつたこと。ところで被告は管内の各公共職業安定所における職員の士気が沈滞し、職場規律が弛緩しているため、職業安定行政が必ずしも適正かつ能率的に遂行されていない状態にあるが、かかる状態を招来するにいたつた主要な原因は、当時管内の各公共職業安定所と大職安の各分会との間に前述の慣行をはじめそのほかにも多数の慣行が存在し、そのなかには違法または不適当なものが存することにあると判断し、それを改善、整理して職業安定行政の適正かつ能率的な遂行をはかるべく決意し、先づ大職安との間で右慣行の整理に関する話合いを行なうこととしたこと、被告ら当局と大職安との間の右の話合いは昭和三七年一一月五日ごろから同月二〇日ごろまで数回にわたり行なわれて一時中断し、翌三八年二月一五日ごろから再開されたが、双方の意見が一致せず、平行線をたどるのみであつたため、被告は同年三月二〇日過ぎ大職安に対し右の話合いを打切る旨通告するとともに同年同月二七日付で各公共職業安定所長名義による「職員の皆さんへ」と題する文書を全職員に配布して右慣行の整理を通告したこと、右文書の内容は(1)出勤時間については大阪府下の交通事情や出勤簿の整理などのため三〇分間の猶予を認めるが、猶予時間に遅れた場合には遅刻時間は正規の出勤時間にさかのぼつて計算されること、(2)組合活動は原則として勤務時間外に行なうこと。ただし(イ)全職員につきメーデーへの参加、大職安支部大会への出席、(ロ)大職安支部執行委員につき全労働全国大会、大職安支部執行委員会、府労連の召集する会議へ各出席をする場合であつて所長が認めたものに限り特別休暇が与えられることなどの七項目にわたる慣行は承認するが、それ以外の慣行は一切認めない旨の慣行の整理を指示し、同年四月一日からそれを実施することを表明するものであつたこと、被告は右の慣行の整理のなかで人事異動に関する事前協議制の慣行を承認しないこととしたうえで、人事の刷新をはかるため同年七月合計三五七名にのぼる大規模の配置転換を行なつたこと、その際被告は原則として同一の職場に五年以上いるものを異動させる方針であつたが、現実には右の方針を下まわり七年以上のものが異動させられたにすぎなかつたこと、異動した職員のなかには大職安や分会の役員も多数含まれており、かつ、すべての者が事前の協議がなく異動させられたこと、他方被告は人事、労務管理体制の充実をはかるため、労働省が実施した全国的な研修に引き続き、昭和三七年八月ごろから管内の各公共職業安定所の職員に対する研修に力を入れ、所長から被告ら当局の指名する一般職員にいたるまでの広範囲の者を対象に順次研修を行なつたこと、右の研修は職業安定法などの改正法規や職業安定行政の推移などに関する解説と同時に人事、労務管理に関する講義が行なわれ、現在および将来における管理者としての職責遂行に万全を期するためのものであつたこと、その後研修をうけた一般職員の多くが係長や専門官に昇任したこと、大阪府労働部においては従来安定課が職業安定業務と人事、経理などの管理業務とをあわせて行なつていたが、昭和三八年八月一五日同課の事務のうち管理業務を集中管理させるため職業管理課が新設され、それまで職業安定課長であつた吉本実が職業管理課長に就任したこと、そのほか労働大臣官房長が昭和三七年一二月一五日都道府県職業安定課長などに対し「出勤簿および休暇等の取扱いについて」と題する通達を発し、右通達において職員は休暇については休暇承認簿により休暇の事由を明らかにすべき旨指示し、被告はこれに基づいて同年同月二六日管内の各公共職業安定所長などに対し「昭和三四年二月四日付職安内第二五三号およびその後の通知により休暇についてはその事由を明らかにすべきことなどを指示してきたが、昭和三八年一月一日以降は出勤簿および休暇などの取扱いについては右の通達によるべきである。」旨の指示をなしたこと、これに対し大職安などは年休の請求書に休暇の事由を記載させることは労働者の生命と健康とを守るための最低限の保障たる年休請求権の行使を不当に制限するものであるから、休暇の事由を記載する必要はないという方向で取組んでいたこと、なお同年一〇月二八日ごろ大阪港分会から大職安の執行部に対し「官側を敵視し、政治闘争を中心とする運動方針から、法令の範囲内で経済的闘争、文化厚生活動を推進する運動方針に変更するよう執行部に要望する。」との内容の要望書が提出されたこと、それが契機となつて同年一二月西成分会有志や堂島分会有志からそれぞれ声明書が出されて前記要望書に同調する行動があらわれたが、それらの活動の中心は主として課長、係長などの職制(もつともこれらの者も大職安の組合員である。)によつて占められていたこと、大職安の執行部はそれらの行為を当局の支援による分派的活動であると攻撃し、昭和三九年一月はじめごろから各職場にオルグを入れ右の行動に同調しないよう各組合員に説得していたこと、ところが同年四月に実施された大職安の役員選挙の結果旧執行部の役員がほとんど落選して、旧執行部の運動方針に批判的な意見をもつた者が多数選出されたこと、その間被告が前記声明書を入手し、組合活動の動向を知るための執務上の参考資料としてその写しを何回かにわたり管内の各公共職業安定所長に対し配布したことなどが認められる。

しかしながら、前記認定の事実のうち、被告ら当局がとつた慣行の整理が違法であつたこと、人事異動について組合役員に対し特に差別的取扱いが行なわれたこと、職員の研修が反組合的教育を目的としたものであつたこと、年休の請求書に休暇の事由の記載を命じたことが組合活動の抑圧を目的としたものであつたことなどを認めるべき証拠はない。さらに、課長、係長などの職制が中心となつて旧執行部の運動方針を批判する活動をすすめ、最後には、大職安の執行部の席のほとんどをそれらの者が占めるにいたつたことについても、それらの職制はすべて大職安の組合員であるから、被告ら当局がそれらの者と結託して一緒に右の批判的活動を行なつたとか、また、それらの者の活動を利用ないし支援したなどの特別の事情を肯定すべき的確なる証拠のない本件においては、右の批判的活動に関連して被告ら当局が大職安の組織および運営に対し支配、介入するための不当労働行為をなしたものと即断することができない。なお、被告ら当局が大職安の組合員を威嚇ないし懐柔して組合の運営に対し支配、介入したなどの原告ら主張のその他の不当労働行為に関する事実についてはこれを肯定すべき的確なる証拠がない。なるほど、被告ら当局が大職安の組織および運営に対し支配、介入するための不当労働行為をなした旨の原告らの主張にそうところの前記甲第一〇号証中の記載部分、証人田井鋭一、同樋上裕一、同赤沢竹彦の各証言部分が存在するが、それらは単なる意見や推測の域を出ないものであつたり、伝聞事項に属するので、にわかに措信することができない。

また、甲第三号証は、証人樋上裕一、同野村晃次の各証言によると昭和三九年度の大職安の職場大会に提出するため旧執行部の役員によつて作成された一九六三年度経過報告書であるが、同大会において可決されるにいたらなかつたことが明らかであり、これを旧執行部の役員によつて真正に作成された文書として証拠能力を認めるとしても、その記載内容は前同様の理由によりたやすく措信することができない。

そして、原告らは、被告ら当局が従来から大職安に対し一連の不当労働行為を行なつてきたことを前提として、その一環として、大職安が職制の分派的行動によつて重大なる危機に直面し、一般組合員に対し組織固めのための行動を開始したときに、その機先を制して被告ら当局が旧執行部から一般組合員を隔離させるためのみせしめとして原告らをあえて本件各免職処分に付したものであるから、本件各免職処分は大職安の組織および運営に対し支配、介入するために行なわれた不当労働行為であると主張する。しかしながら、その前提事実を認めることができないことは先に述べたとおりであり、証人豊田光雄の証言、原告鍬田和男の本人尋問の結果および弁論の全趣旨によると、原告らは職場大会などに出席したり、原告鍬田において堂島分会青年部発行の機関紙に新入職員としての言葉を投稿したりしたことがあるほか、格別の組合活動をしていなかつたことが認められる。なお、原告らは条件付採用期間中の職員であつて、本件各免職処分当時は正式採用すべきかどうかを判断すべき時期にさしかかつていたことや、原告鍬田には免職処分事由が、同辻には免職処分事由とされた外形的事実がそれぞれ存在していたことは後述するとおりであつて、これらの諸事情に徴すると、本件各免職処分が原告ら主張のような大職安の組織および運営に対する支配、介入にわたる不当労働行為であつたとはにわかに認めることができない。

(三)  なお、原告辻は、同原告が全労働の方針に従い年休の請求書に休暇の事由を記載しなかつたことをもつて本件免職処分の事由としたのは国公法第一〇八条の七にいう職員団体における正当な行為をしたことのためになされた不利益な取扱いであると主張するが、同原告に対する本件免職処分は年休の請求書に休暇の事由を記載しなかつたという事実のみを処分事由としたものでないのみならず、被告としては右の事実を休暇の手続として命ぜられた事項につき職員として上司の命令に対し忠実でなかつたことを問題視していたものであることは後述するとおりであるから、同原告のこの点に関する主張も採用することができない。

三、次に、原告らは、本件各免職処分はいずれも被告主張の免職処分事由を欠いていると主張するので、本件各免職処分事由の有無についての判断に入ることとするが、その前に条件付採用制度の意義および条件付採用期間中の職員の身分保障などについて争いがあるので、先づこの点につき検討することとする。

(一)  条件付採用制度の意義

原告らは条件付採用制度の真の意義を把握するためには、単に国公法第五九条第一項の規定のみならず、関連する諸法規およびそれらの規定の適用下において形成されてきた公務員の労働関係の実態や慣行などの諸要素をも総合して判断しなければならないと主張するところ、一般に法規の解釈態度が原告らの主張のようでなければならないことはそのとおりである。

しかし、被告指摘のような公務員の労働関係における特殊性、すなわち、公務員の労働関係における使用者は国または公共団体であるが、本来公務員を選定したり、また罷免したりすることは国民固有の権利であり(憲法第一五条第一項)、国または公共団体は国民に代つてそれらの権利を行使しているものであつて、国民の意思のあらわれである法律によつて定められた公務員の労働関係については、任命権者といえどもその内容を変更することはできない制約がある。従つて、国公法などが定める条件付採用制度の意義を考えるにあたつても、その意義を探究するため原告ら主張のような諸要素を考慮すべきことはもとよりであるが、その内容を改変するような解釈態度をとり得ないこともまた当然であるといわねばならない。このことに留意しながら条件付採用制度の意義について考えることとする。

条件付採用制度について、国公法第五九条第一項は「一般職に属するすべての官職に対する職員の採用又は昇任は、すべて条件附のものとし、その職員が、その官職において六月を下らない期間を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに、正式のものとなるものとする。」第二項は「条件附採用に関し必要な事項又は条件附採用期間であつて六月をこえる期間を要するものについては、人事院規則でこれを定める。」と規定している。

国家公務員の任用制度について国公法は任免の根本基準として職員の任用は能力の実証に基づいて行なう成績主義の原則を掲げ(第三三条)、これをうけて職員の採用は競争試験または選考の方法によるべきことを規定している(第三六条)。しかしながら、現在の段階においては、競争試験または、選考の方法によつて職員として必要な適格性の有無を判断するための全要素を捕捉することができるとの保障や、それらの方法によつて判定されたとおり実際の勤務において職務遂行能力が発揮されるとの保障が完全に存在するとはいえないので、国公法第五九条第一項は前述のとおり職員の採用はすべて条件付のものとし、その職員が一定の期間勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに、はじめて正式採用になるものとしたのである。すなわち、条件付採用期間中は未だ職員として正式採用されるまでの選択過程であつて、任命権者は条件付採用期間中に競争試験または選考の方法により捕捉することができなかつた要素が存しないかどうか、あるいはそれらの方法により判定されたとおり実際の勤務において職務遂行能力が発揮されるかどうかについて考慮する機会を与えられることにより不適格者を排除し、成績主義の原則の完璧を期そうとするのが、条件付採用制度の意義であつて、条件付採用期間中の職員の労働関係はその期間における勤務を良好な成績で遂行することを正式採用の停止条件とする特殊な労働関係であるというべきである。これは私企業におけるいわゆる試用契約制度と同様の機能を営むものである。

ところで、原告らは、先ず条件付採用制度について国公法は適格性の判断に関する客観的、合理的な基準を定めず、かえつて人事院規則一一―四第九条が不適格事由を具体的に定めていること、また条件付採用期間の終了時点において適格者である旨の判定の表示や取扱上の差異がないことからして、ここにいう条件とは停止条件ではなく、条件付採用期間中は不適格事由による解雇権が留保されていることを意味するものであると主張する。しかしながら、国公法第五九条第一項が適格者を正式採用する側面から前述のように職員が一定の期間その職務を良好な成績で遂行することを条件として正式採用となる旨規定したのに対し、人事院規則一一―四第九条が不適格者を排除する側面から「条件附採用期間中の職員は、法(国公法)第七八条第四号に掲げる事由に該当する場合又は勤務実績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基いてその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと認める場合には、何時でも降任させ、又は免職することができる。」と規定し、やや具体的に不適格事由を定めているが、これらはいずれも条件付採用期間が正式採用前の選択過程であることを両面からそれぞれとらえただけのことであつて、人事院規則の前記規定が存することをもつて、前述した条件付採用制度の意義を変更すべきものとは解されない。

また、人事院規則八―一二第二六条第二項は「条件附任用期間の終了前に任命権者が別段の措置をしない限り、その期間が終了した日の翌日において、職員の任用は、正式のものとなる。」と規定し、条件付採用期間の終了時点において適格者であると判断したことの表示を特に行なわない建前になつていることや、正式採用になる前後を通じて給与などの面において取扱上の差異を設けるべき旨の規定が存しないことは原告ら主張のとおりであるが、停止条件成就の有無は、適格者であると判断したことを直接的に表示することによつても、また、不適格者であると判断した者に対しその旨を表示することにより、それ以外の者に対し間接的に適格者であると判断したことを明らかにすることによつてもそれを明確化することが可能であつて、いずれをとるかは立法技術の問題であるにすぎない。従つて人事院規則が不適格者であると判断した者に対してのみその旨を告知するにとどめ、正式採用となる者に対しては適格者であると判断したことを表示しない取扱い方法をとつたことから、取扱いのうえでは条件付採用期間中に前述の人事院規則一一―四第九条に基づく措置をうけないことを停止条件として正式採用になるというだけのことであつて、右の取扱い方法をもつて原告らの主張するように条件付採用期間中は不適格事由による解雇権が留保されていることを意味し、右期間中の職員といえども正式採用された職員であるかのように解することは失当である。

また正式採用となる前後を通じて給与などの面において取扱上の差異がないことをもつて、直ちに原告らの右主張を裏付けるものと解することもできない。

次に、原告らは、国公法第五九条第一項の定める条件付任用制度は職員の採用の場合のみならず、昇任の場合をも対象としているが、昇任については条件付任用期間中に不適格者として排除された実例は皆無であつて、決して停止条件付のものとしては運用されていないから、この一事をもつても国公法上の条件付任用制度が形骸化していることが明らかであると主張する。しかしながら原告らの主張が正式任用すべきでない者が正式任用されて国公法上の条件付任用制度が形骸化しているという意味であれば、それは国公法を無視する不法の事態として是正せらるべきことになるだけのことであつて、いささかも条件付任用制度それ自体の内容を変更すべき理由とならないことは前述の公務員の労働関係における特殊性に照らしても明らかであるから、原告らの右主張は採用することができない。

なお、原告らは、条件付採用期間の六カ月以上というのは驚くべき長期間であり、国公法立法当時は右期間が試験期間としての実質を有していたが、その後の労働事情の変化により六カ月以上という条件付採用期間中不安定な身分に甘んずる求職者がなくなり、他方受入れ側においても要員配置が窮屈になつてきたため、実際には当初の数日間の勤務のみが条件付採用制度の趣旨どおりの試験のための勤務であり、その後の勤務は労働の質、量ともに正に労務の給付が主眼とされるにいたつているので、条件付採用制度の意義も右の事態にそくして変更せらるべきであると主張する。しかしながら、条件付採用期間中はその職員に対し正式採用された職員とは異なつた試験のための特別の職務を与えなければならない旨の規定は存しない。むしろその官職に必要な適格性の有無は正式採用された職員と同様の職務をしているときに最もよく判断されるものであるとの考慮に基づいて、右のような規定を設けなかつたものとも解されるのである。そうだとすると、条件付採用期間中の職員の職務の内容が正式採用された職員と同様のものであることは条件付採用制度の趣旨に反するものということができない。また、原告ら主張のように労働事情の変化により六カ月以上という条件付採用期間中不安定な身分に甘んずる求職者がなくなり、他方受入れ側においても要員配置が窮屈になつてきた事情があるとしても、それをもつて条件付採用制度の意義や条件付採用期間の長さが変更されたものと解すべき根拠とすることはできない。従つて原告らの右主張も採用することができない。

(二)  条件付採用期間中の職員の身分保障などについて

原告らは条件付採用期間中の職員についても十分に合理的な身分保障が与えられなければならない。もしそうでなければ国公法がそれらの職員からも正式採用された職員と同様に団体交渉権および争議権を剥奪していることに対する十分な代償措置を欠いていることになり、ひいては憲法第二八条の規定に違反することにもなるからである旨主張する。

憲法第二八条は同法第二五条の生存権保障の理念に基づき勤労者の団結権、団体交渉権、争議権等の労働基本権を保障しているところ、国家公務員は国から労働の対価の支給をうけて勤務するものであるから、同法第二八条にいう勤労者に国家公務員も含まれるものと解すべきである。そして国家公務員が従事する職務が公共性を有しているところから、右の労働基本権が国民生活全体の利益を保障することとの比較考量の見地などからやむなく制限されることがあるのも当然である。

その場合にも労働基本権の制限に見合う代償措置が講ぜられなければならないことは原告ら主張のとおりである。そこで公共職業安定所の職員についてみるに、それらの者は憲法第二八条にいう勤労者であることはもち論であるが、職業紹介、職業指導、失業保険その他の事項を行なうために無料で公共に奉仕する行政機関の業務に従事する者であつて、国民生活全体との関連性がきわめて強く、その業務の停廃が国民生活に重大なる障害をもたらすおそれがあるなどの理由で、国公法により労働基本権が制限されているのであつて、条件付採用期間中の職員といえどもその例外ではない。

そこで、条件付採用期間中の職員に対する代償措置についてみるに、それらの者につき給与を含む勤務条件が法律または人事院規則によつて定められ、特にこれを保障するため政府から独立した人事院が設置されていることなどは正式採用された職員の場合と同様であるが、条件付採用期間中の職員は国公法第八一条の規定により身分保障に関する同法第七五条、第七八条ないし第八〇条の適用が排除され、その分限については人事院規則で必要な事項を定めることとされ、これを受けて同規則一一―四第九条は前述のとおり規定している点において正式採用された職員の場合と異なつた特例が設けられている。さらに条件付採用期間中の職員は国公法第八一条の規定により、正式採用された職員につき認められた(1)勤務条件に関する行政措置の請求権(同法第八六条)、(2)不利益処分に関する審査請求権(同法第九〇条)、(3)公務傷病の補償に関する審査請求権(国家公務員災害補償法第二四条)のうち、(2)の不利益処分に関する審査請求権を認めた規定の適用が排除されている。ところで国家公務員について労働基本権を制限することに見合う代償措置を講じなければならないということは、条件付採用期間中の職員と正式採用された職員との間に存する差異に基づき合理的な区別を設けることを必ずしも否定するものではない。そして、条件付採用期間中の職員と正式採用された職員とについて前述のとおりほとんど同様の代償措置が認められながら、身分保障および不利益処分に関する審査請求権について区別を設けたのは、後者がその職に必要な適格性を有するものであるとの任命権者による最終的判定をうけたものであつて、身分の安定を期待するのが当然であるのに対し、前者はその職に必要な適格性を有するかどうかを検討すべき選択過程にあるものであるから正式採用された職員と同様に身分保障することは条件付採用制度に親しまないものであることによる。従つて前述の区別は条件付採用期間中の職員と正式採用された職員との間に存する差異に基づく合理的なものというべきであり、右のような区別があることをもつて条件付採用期間中の職員に対する代償措置が十分でないと解することはできない。もつともそれらの者も人事院規則一一―四第九条の定める事由のない限り免職などの分限処分をうけないのであるから、その意味において右の条項はそれらの者の身分保障を定めたものと解するのが相当である。そうだとすると、条件付採用期間中の職員に対する代償措置が不十分であるとして、人事院規則一一―四第九条の規定が違憲無効であるということはできないわけであつて、原告らもその点を争う意思があるものとは受取れない。

そこで右の人事院規則一一―四第九条の適用について、原告らは条件付採用期間中の職員に対する身分保障の見地から同条にいう不適格事由は客観的、合理的に認定されなければならない旨主張し、被告はその認定は任命権者の自由裁量であつて、全く事実上の根拠を欠いていた場合であるとか、もしくはその裁量が恣意にわたるなど裁量権の範囲を著しく逸脱した場合であるとかを除き違法性がないと争うので、この点について考察することとする。一般的にいつて使用者が何人を雇用するかは本来自由に決しうるところであつて、条件付採用期間中の職員は未だ選択過程の途上にあり、正式採用されたものではないから、右自由の射程内に属する要素をもつていることは否定できないところである。しかしながら、国家公務員の採用については単に競争試験または選考の段階においても国公法第三三条が職員の採用はあくまでその者の受験成績などの能力の実証に基づいて行なわるべき旨の成績主義の原則を掲けて、縁故、情実などを排除すべきことを定め、さらに同法第四六条が採用試験の公開平等を定めていることなどに照らし、私企業における場合と異なつて人事の公正が特に要請される点において一般的にいわれる使用者の採用の自由がすでに修正されているとみられるのみならず、その段階を経て次の選択過程に進んだ以上、それに相当する身分保障をなすことは条件付採用制度の本質に必ずしも反するものではない。むしろ、条件付採用制度が不適格者を排除して成績主義の原則の完璧を期そうとするものであるから、その目的を達するための客観的、合理的な必要性を超えて条件付採用期間中の職員が分限されてはならないとの制度上の制約が存在するのであつて、人事院規則一一―四第九条はその当然の事理を明文化したものと解する。そして、それらの者が正式採用されることに対する期待権を有するとともに現に給与をうける権利などを有することを考えると、これらの権利に直接影響を与えるところの人事院規則の前記条項に基づく分限処分は法規裁量に属するものと解すべきである。ただし、正式採用された職員に対する国公法第七八条に基づく分限処分の場合と、条件付採用期間中の職員に対する人事院規則の前記条項に基づく分限処分の場合とでは、同じく不適格者などの排除を目的とするものであつても、後者の場合は前述のように選択過程の途上にあるものであることに照らし、不適格事由の裁量について前者の場合より弾力性を認めつつ、しかも条件付採用期間中の職員に対する身分保障という見地から条件付採用制度にそくした一定の客観的、合理的基準に適合するものでなければならないものと解するのが相当である。

以上の見地に立つて本件各免職処分事由の有無についての考察に入ることとする。

(三)  原告鍬田に対する本件免職処分事由の有無について

前記甲第五号証、成立に争いのない乙第一、三号証の各一、二、第五号証、公共職業安定所において使用していた用紙であることにつき争いのない同第一〇号証の一ないし六、証人野村晃次、同馬場貞弘、同石井光子、同野々山敏夫、同花岡八郎、同吉本実の各証言および原告鍬田和男の本人尋問の結果の一部を総合すれば次の事実を認定することができる。すなわち、

(1)  原告鍬田は昭和三八年八月一日から堂島公共職業安定所の調査課統計係に配属されていたものであるが、当時奈良県磯城郡田原本町八田五二二番地の自宅から、近畿日本鉄道天理線の二階堂駅で乗車し、西大寺駅で同奈良線に乗りかえ、さらに鶴橋駅で国鉄環状線に乗りかえて大阪駅で下車し、その後徒歩で勤務先に通勤していたこと、同原告は当初は出勤時間である午前八時三〇分までに勤務先に出勤していたが、同年九月近畿大学夜間部に通学するようになつてから出勤がだんだん遅くなり、同年同月二三日午前九時一〇分に出勤して四〇分遅刻したのをはじめとして、一〇月中に三回、一一月中には公民権行使のためのものを除き七回、一二月中には七回、翌年一月中には一五日付で本件免職処分に付されるまでの間に四回、以上合計二二回にわたり述べ二日と一時間二〇分に及ぶ遅刻を繰り返したこと、右の遅刻はいずれも電車の遅延によるものであつたからその都度やむを得ない事情がある場合に該当するとして特別休暇の取扱いをうけていたこと、堂島公共職業安定所における職員の出勤時間は、政府職員の勤務時間に関する総理庁令(昭和二四年総理庁令第一号)により午前八時三〇分と定められているが、交通事情が悪いため午前八時三〇分の直前に大勢の者が出勤して出勤簿に押印するのに行列をつくることがあつたので、大阪府下の各公共職業安定所では大職安の各分会からの要請もあつて、出勤時間を遅らせたり、また猶予時間を設けたりなど、区々の取扱いがなされていたが、被告は昭和三八年三月二七日付の各公共職業安定所長名義による「職員の皆さんへ」と題する前出の文書をもつて、前述の慣行整理の一環として、同年四月一日以降は大阪府職員の例に従い管内の全公共職業安定所を通じて、出勤時間は午前八時三〇分であるが、交通事情や出勤簿整理に要する時間をも考慮して三〇分間だけ猶予し、午前九時までに出勤すれば遅刻扱いはしない。ただし午前九時を過ぎて出勤すれば午前八時三〇分からの遅刻扱いとすることに統一する旨を全職員に対し周知徹底させ、同原告も堂島公共職業安定所の馬場貞弘次長から採用当初の研修の際出勤に関する右の取扱いについての説明をうけていたこと、同原告は前述のように出勤が遅くなつてからは自宅を大体午前七時一五分ごろ出発して二階堂駅で午前七時三四分発の電車に乗り、順調に行つたときは大体午前八時五〇分から五五分ごろ勤務先に到着し、前記猶予時間内に出勤することができたが、当時通勤時間に混雑などのため一〇分ないし三〇分程度電車が遅延する例が多かつたので、前述のように遅刻を繰り返していたこと、電車の遅延による遅刻として特別休暇扱いをうけていたものではあるが、その回数が余りに多かつたため、主として上司の石井課長が、時に藤田統計係長が一電車早く来るなりして遅れないようにすべき旨の注意をたびたび与えていたこと、同原告はかかる注意をうけると、はじめのころは「今下宿を探している。」などと善処するような返事をしていたが、昭和三八年一一月ごろからはただ不満そうな顔をするだけで、依然遅刻を繰り返し反省的な態度がみられなかつたこと、

(2)  昭和三八年一〇月一五日までに大阪府労働部に提出すべき同年度日雇求職者の就労状況等に関する実態調査の集計を、同原告所属の調査課全員が同年同月一二日の午後一時から同五時までの超過勤務と翌一三日の午前八時三〇分(ただし前記出勤猶予時間あり)から午後五時までの休日勤務とをして行なつた際、堂島公共職業安定所長花岡八郎の承認を得て同年同月一一日藤田統計係長が調査課の全員に対し右の超過勤務と休日勤務とを命じたところ、同原告のみがこれに応じない態度であつたので、石井調査課長が翌一二日の朝同原告に対し重ねて仕事の緊急性を説明して右の命令を伝えたが、同原告はさしたる理由を示さないでその命令に応じなかつたこと、超過勤務および休日勤務は超過勤務等命令簿にその命令が発せられたことを記載するべきことに人事院細則九―七―二第一条で定められているにもかかわらず、前述の超過勤務と休日勤務については超過勤務等命令簿にその旨の記載がなされていないが、これは右の勤務に対する手当が超過勤務のための予算から支出されないで、アルバイトのための予算から便宜支出された事情に基づくものであること、(超過勤務等命令簿に超過勤務などが命ぜられたことを記載すべき旨の前記人事院細則はそのような命令が発せられたことを前提として勤務時間管理の必要上作成されるものであつて、超過勤務などの命令自体は要式行為ではないから、本件において前述の超過勤務と休日勤務とについて超過勤務等命令簿にそれを命じた旨の記載がなされていないことをもつて前記命令の効力を左右することはできない。)

(3)  そのほか、普段の勤務においても、他人の話に耳を傾けたり、またため息をついたりなど、しばしば仕事に打込んでいない様子の場合があり、仕事の速度も他の者に比べ見劣りがしていたこと、

以上の諸事実が認められ、原告鍬田和男の本人尋問の結果中これに反する供述部分は措信することができない。

そうだとすると、原告鍬田が上司の注意がたびたびあつたにもかかわらず、多数回にわたり遅刻を繰り返したこと(前記(1)の事実)は職務に対する奉仕観念や上司の命令に対する忠実さに著しく欠けていたものとの非難を免れることができないし、これを放置するにおいては職場規律を弛緩させ、職員全体の士気に悪影響を与えるおそれがあるものである。また、同原告が超過勤務と休日勤務とを命ぜられながら理由なくこれに応じなかつたこと(同(2)の事実)についても前同様のことがいえるのである。

従つて被告が、同原告が条件付採用期間中の職員であることを考えたうえ、前記(1)ないし(3)の事実に基づいて同原告が公共職業安定所の職員として必要な適格性を欠いていると判断して同原告を本件免職処分に付したことは首肯できるところであつて、免職処分事由に関する裁量を誤つたとか、処分権を濫用したとかの違法があるとはとうてい言うことができない。

ところで前記乙第五号証によると、花岡所長が昭和三八年一二月二六日付で被告に提出した原告鍬田に関する勤務報告書において、第一次評定者たる石井調査課長が「責任感、知識、奉仕観念、表現、応待、研究心、上司の命令に対する忠実さ、仕事の速さ、協調性」の九項目についていずれも良、「勤勉さ」について可と評定し、総合的評価として良と記載していることが明らかであるが、前記の(1)ないし(3)の事実に徴すると、右の記載内容をもつて当裁判所の前記判断を左右することはできない。

原告鍬田は遅刻時間を不当に、算定していると主張するが、前記認定の事実に照らしその理由がないことは明らかである。

さらに、同原告は前記(1)の遅刻は電車の遅延によるものであり、かつ、特別休暇の取扱いをうけていたものであるから、これをもつて免職処分事由とすることは信義則にも違反すると主張する。遅刻をやむを得ない事情によるものとして特別休暇扱いとした場合に後日それを免職処分事由とすることが一般的に道理に反するものであることは同原告主張のとおりである。

しかしながら、前記認定の出勤時間猶予制度の趣旨、ことに電車の遅延をある程度見越したうえでの猶予であることに照らすと、同原告が一〇分ないし三〇分程度の電車の遅延を理由に特別休暇を申請し、当局がそれを承認していたこと自体がすでに問題であるが、本件においては被告がその点までを主張していないから論外としても、同原告は上司からの注意をたびたび受けていたにもかかわらず、多数回にわたり遅刻を繰り返していたという特殊な事情が認められるから、前記(2)の事実と相いまつて、同原告が職務に対する奉仕観念や上司の命令に対する忠実さに欠けるところがあると判断せられてもやむを得ないのであつて、右遅刻をもつて本件免職処分事由としても何ら信義則に違反するものではない。

なお、同原告は遅刻によつて業務上の支障が現実に生じていないから、それを免職処分事由とすることは違法であると主張する。しかしながら、人事院規則一一―四第九条にいう不適格性の認定に遅刻によつて業務上の支障が現実に発生したことは必ずしも必要でないから、同原告の右主張は採用することができない。

なお、同原告は、超過勤務などの時間外勤務の拒否は免職処分事由に該当しないと主張する。しかしながら、国公法第一〇六条の規定に基づいて制定された人事院規則一五の一第一〇条一項によると「各庁の長は、公務のため臨時又は緊急の必要がある場合には、正規の勤務時間以外の時間においても、職員に勤務することを命ずることができる。」と規定しているから、右規定に基づいて時間外勤務を命ぜられた以上、それを拒否することは職務命令違反の評価を免れることができないわけである。従つて、同原告の右主張も採用することができない。

ところで、被告は前記(1)ないし(3)の事実以外に同原告が他の職員と朝のあいさつを交さなかつたことを協調性を欠くものとして本件免職処分事由に掲げているが、同原告が他の職員と朝のあいさつを交さなかつたこと自体は職務遂行上の問題と直接関係がないから、右の事実をもつて本件免職処分事由としたことは違法であるというべきである。もつとも任命権者の事実の認定ないし評価に多少の誤りがあつても、その基本的重要部分を占める関係に誤りがない以上、そのような過誤は免職処分そのものを違法ならしめるものではないと解するのが相当である。本件においては右の基本的重要部分を占める関係において誤りがないから、前記違法は本件免職処分の効力に影響しないものといわねばならない。

(四)  原告辻に対する本件免職処分事由の有無について

成立に争いのない乙第二、四号証の各一、二、第六号証、第八、一二号証の各一、二、公共職業安定所において使用している用紙であることにつき争いのない同第一一号証の一、二、証人野村晃次、同馬場貞弘、同野々山敏夫、同花岡八郎、同神田圭三、同松本文男、同原田睦男、同吉本実の各証言および原告辻泰弘の本人尋問の結果の一部を総合すると次の事実を認定することができる。すなわち、

(1)  原告辻は昭和三八年八月一日から堂島公共職業安定所の失業保険業務課資格得喪係に配属されていたものであるが、同年一一月一一日出勤が一時間遅れたことにつき、事後において年休の請求手続をした際、その請求書に休暇の事由を全然記載しなかつたこと、同原告はそのことについて、失業保険業務課長斎藤文平や庶務課長野村晃次から後述するような休暇の事由を記載することの必要性を説明されたうえ、上司の命令には従うべきだと注意されたこと、当時同原告は年休は権利として認められたもので、当局は休暇の事由を記載していないからという理由で承認を拒否することはできないものであると考えており、自己の所属する堂島分会青年部の集会でも一致して同意見であつたので、同原告は上司の右注意に対し自己の考えを述べて最後までその記載をしなかつたこと、数日を経て馬場貞弘次長が同原告に対し同様の厳しい注意を与えたが、同原告はこの場合も「考えておく。」という返事をしただけであつたこと、しかし右の年休の請求はそのままの状態で承認されたこと、

(2)  同原告は同年同月二一日富士工務店の係員から二名分の離職証明書用紙の交付を請求するのに二通の請求書を提出されたが、一通の請求書に離職者一五名まで記載できることになつているので、普通は数名の離職者がある場合でもまとめて一通の請求書を提出してくるものであるのに、同原告ははじめて二名分の離職者証明書用紙を請求するのに二通の請求書で別個に請求をされたので、その手続を間違えているものと思い込み、前記係員に対し一通の請求書に書きかえるよう要求してそれを全く受付けようとしなかつたこと、そこで前記係員が直接斎藤課長に交渉したため、資格得喪係長原田睦男が同原告のところにきて、そのまま受付けるよう指示したが、同原告は「一通の請求書に書きかえるまでは受付けられない。お前は関係がないから黙つておれ。」という趣旨の暴言をはいてその指示に従わなかつたこと、他の職員が同原告を所長室に連れて行つたあとで原田係長が前記係員に対し離職証明書用紙を交付したこと、同原告は所長室に連れて行かれたあと自分が間違つていたことを反省し、その場に間もなくきた原田係長に謝罪したこと、

(3)  そのほか、同原告は外来者との応接態度がつつけんどんであつたこと、本件免職処分後のことであるが、これに強い不満を持つた同原告が野々山敏夫次長に対し多少の乱暴を働いたこと、

(4)  被告は、同年一二月二六日付で花岡所長から被告あてに提出された勤務報告書で同所長が総合的評価として不可と評定し、免職処分を勧告したことを契機とし、前記(2)の事実は奉仕観念、上司の命令に対する忠実さに著しく欠けるものであるとして最も重視し、次で同(1)の事実は上司の命令に対する忠実さに欠けるものであるとして重視し、その他の事実(ただし前記(2)のうち同原告が原田係長に対し謝罪したことは本件免職処分当時被告は聞知していなかつたし、同(3)の事実のうち、同原告が野々山敏夫次長に対し暴行したことは本件免職処分後の出来事であるからこれらの事実を除き)を総合して国家公務員として、特に公共職業安定所の職員として必要な奉仕観念、応待、上司の命令に対する忠実さなどに著しく欠けるところがあるから適格性がないと判断し、同原告を本件免職処分に付したこと

以上の事実を認めることができ、原告辻泰弘の本人尋問の結果中これに反する供述部分は措信することができない。

ところで、原告辻は、被告ら当局が年休の請求書に休暇の事由を記載すべき旨命じたことは違法であるから同原告がこれに応じなかつたことは当然であつて、何ら非難さるべきものではないと主張するので考えるに、労働大臣官房長が昭和三七年一二月一五日都道府県職業安定所長などに対し「出勤簿および休暇等の取扱いについて」と題する通達を発し、右通達において職員は休暇については休暇承認簿により休暇の事由を明らかにすべき旨指示し、被告はこれに基づいて同年同月二六日管内の公共職業安定所長に対し昭和三八年一月一日以降は出勤簿および休暇などの取扱いについては右通達によるべきであると指示したことは前記認定のとおりである。

そこで、一般職国家公務員の年休の性格についてみるに、国公法第一〇六条の規定に基づいて制定された人事院規則一五―六第二項は「有給休暇とは、法令の規定に基き、職員がその所属する機関の長の承認を経て正規の勤務時間中に俸給の支給を受けて勤務しない期間をいう。」と規定し、同第四項は「休暇は、あらかじめ機関の長の承認を経なければ与えられない。」と規定しているところ、前記の「法令の規定」のなかには、大正一一年閣令第六号(官庁執務時間並休暇ニ関スル件)および労働基準法第三九条が含まれるものと解するのが相当である。その理由は以下のとおりである。すなわち、大正一一年閣令第六号は昭和二二年法律第一二一号(国家公務員法の規定が適用せられるまでの官吏の任免等に関する法律)により昭和二三年一月一日以降もその効力を存続している。他方、昭和二三年一二月三日法律第二二二号(国家公務員法第一次改正法律)が施行され、一般職国家公務員について国公法の附則に第一六条を追加して労働基準法などおよびこれらに基づいて発せられる命令を適用しない旨を規定するとともに、右の第一次改正法律附則第三条において「別に法律が制定実施されるまでの間、国家公務員法の精神にてい触せず、且つ、同法に基く法律又は人事院規則で定められた事項に矛盾しない範囲内において、」労働基準法などおよびこれらに基づく命令の規定を準用する旨を規定するところ、労働基準法第三九条の規定は労働者に対し年休の請求権を認めると同時に請求された時季に年休を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合には、他の時季にこれを与えることができると規定して使用者の立場をも考慮しているわけであるから、同条を一般職国家公務員に準用しても公務の遂行に格別の支障があるものとは思われず、地方公務員の年休については同条の適用が当然には排除されていないことなどに照らすと、同条を一般職国家公務員に準用しても国公法の精神にてい触することはないものとして、前記附則によりその準用を肯定するのが相当だからである。

そうだとすると、一般職国家公務員の年休については人事院規則の前記規定により所属する機関の長の承認を要するのであるが、他面労働基準法第三九条が準用されることにより年休を請求するのは権利であり、機関の長は年休を請求された時季にその承認を与えなければならないわけであつて、ただその時季に年休を与えることが業務の正常な運営を妨げる場合にのみその承認を拒否することができるということになるのである。

ところで、被告は、前記認定のように休暇の事由を明らかにすべき旨指示したのは、機関の長は業務の繁閑に応じて年休を承認するかどうかを決するのであるが、休暇の事由が重大であり、かつ緊急性を有する場合であれば、通常承認することができないようなときでも承認することがあり得るし、また、年休の請求が競合するが業務の繁閑の程度により一部の者に承認を与えることができる場合には、休暇の事由の重大性と緊急性との程度によつて承認を与える必要があるからであると主張する。なるほど機関の長が年休を承認するかどうかの判断を適正、かつ円滑になすために職員に対しあらかじめ休暇の事由の記載を要求することの合理性と必要性とが存在することは肯定できるところである。従つて年休の請求について休暇の事由を明らかにすべき旨を命じた前記労働大臣官房長および被告らの指示が違法であるとはいえない。しかも、右指示の性格が後述するとおりであることに照らし、これが年休の自由な利用を妨げたり、また、職員のプライバシーを侵害するものとも解することができない。しかしながら、職員が休暇の事由を記載しなかつたため、その重大性と緊急性とが不明であれば、被告主張の前者の場合には年休の承認を拒否し、後者の場合にはその者の年休を承認しないで、他の者の年休を承認すれば足りるのであつて、そのような結果は休暇の事由を記載しなかつた者の甘受しなければならないところである。従つて年休の請求をする場合に休暇の事由を明らかにすべきことが、機関の長が年休を承認するにあたり絶対不可欠の要素になつているとは解することができない。

そうだとすると、年休の請求書に休暇の事由を記載すべき旨の指示は職務命令の一種ではあるが、年休の請求権を行使するについての手続的要件を定めたものであつて、それに不備がある場合、年休を承認をしないなどの臨機応変の処置をとれば足り、その追完の命令に応じない場合でもそれ以上に免職処分事由などに該当する職務命令違反などの非難を加えるべき性質のものではないと解するのを相当とする。けだし、年休の請求を全然しない場合に何らの非難を加える余地がないのは年休の請求がもともと権利の行使であることに由来するのであつて、これと同様に、年休の請求が前述の手続的要件を欠き不完全に行なわれたことを理由に免職処分事由に該当するなどの非難を加えることはそれが権利の行使であることの本質に反することになるからである。前記乙第八号証の一、二によると休暇の事由を記載すべき旨の労働大臣官房長および被告の前記指示は、特別休暇、病気休暇などの休暇全般についてのものであることが明らかであるが、年休の場合は前述の理由により他の休暇の場合とは異なつた意味をもつものと解釈しなければならない。

従つて、被告が、同原告が年休の請求書に休暇の事由を記載しなかつたこと(前記(1)の事実)を上司の命令に対する忠実さに欠けるものとして本件免職処分事由としたことは裁量に違法があるものというべきであつて、結局、同原告のこの点に関する主張は理由がある。

ところで、被告が前記(2)の事実を第一に、同(1)の事実をその次にそれぞれ重視してその他の事情を総合のうえ、同原告を本件免職処分に付したものであるところ、年休の請求書に休暇の事由を記載しなかつたこと(同(1)の事実)をもつて本件免職処分事由としたことが違法であることは前記認定のとおりである。さらに、同(2)の事実は奉仕観念に欠け、自己の考えにいたずらに固執して非常識な態度で上司の命令に従わなかつたものとして、かなり重大な事実であるが、他面前掲記の各証拠によると、新制高等学校を卒業して二年目を迎えたばかりで、自制心の十分に備わらない年令であり、若気と事務不慣れのために激発したと見るべき一面をもつており、直後反省して自己の非を悟り原田係長に謝罪していること、その後は再び同じような誤りを犯していないこと(本件免職処分後同原告が上司に対し乱暴した事実があることは前記認定のとおりであるが、これは本件免職処分事由と直接の関係がないし、しかも本件免職処分に対する強い不満の念に駆られた行為であつて、必ずしも悪性の発露とばかり非難できないものがあるので、事後における右の行為をもつて本件免職処分当時における同原告に関する不適格性を推測する資料とすることもできない。)などを考え合わせると、被告が同原告に対しなした本件免職処分は、免職処分事由とされた相当重要な部分が欠けており、その余の事実をもつて同原告が人事院規則一一―四第九条にいう公共職業安定所の職員として必要な適格性を欠いているものと判断することは先に述べた客観的、合理的な裁量基準を逸脱するものであると解釈せざるを得ない。

従つて、被告が同原告に対してなした本件免職処分は人事院規則の前記条項の適用を誤つた違法があるものとしてその取消を免れることができない。

四、以上のとおりであつて、被告が原告辻に対してなした本件免職処分は違法であるからこれを取消すべく、原告鍬田に対してなした本件免職処分には何らの違法が存しないからこれを取消すべきいわれがない。

よつて、原告辻の本訴請求は理由があるからこれを認容し、原告鍬田の本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岩本正彦 高山健三 大内敬夫)

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